音楽のように

ヒストリカルクラシックのブログ

私の好きなクラシック音楽 その6

アルノ・ババジャニアン『ノクターン

清々しく時代を駆け抜けた作曲家

アルノ・ババジャニアンArno Babadjanyan1921-1983)という作曲家をご存知でしょうか?

前回、とりあげたアルチュニアンの友人で、同郷のアルメニア出身の作曲家、ピアニストです。

作曲家としてはアルメニア独特の民族音楽のテイストを含みながら、12音階技法を用いた『6つの絵画』から、簡潔なピアノ独奏曲『メロディーとユモレスク』まで、幅広いスタイルで楽曲をつくりました。そして、何よりも彼に特徴的なのは多数の歌謡曲を作曲したこと、また、今回とりあげる『ノクターン』や『Fantasy on <Give Me My Music Back>』のような、アルメニアンポップスに通ずるような、パーカッションやエレキギターを用いた哀愁のある楽曲を作曲したことです。

 

旧ソ連において、社会主義リアリズムの音楽は「形式的には民族的、内容的には社会主義的」であることが定義され、求められました。

しかし、正直なところ、この定義は曖昧で、実際、とても幅の広いスタイルの音楽が作曲されました。

ババジャニアンもそのような多様な音楽を作曲した作曲家の一人です。

 

ピアニストとしてはイグムノフ・スクールの一員です。つまり、ソ連のピアノ演奏における保守本流に属していたことになります。そのババジャニアンが新しい、エレキギターを用いた、歌謡曲のような曲を作曲し、自らピアノで演奏するようになるのですから、ソ連の音楽はとても奥深いと言わざるを得ません。

 

ババジャニアンはソ連人民芸術家、アルメニア共和国人民芸術家で、スターリン賞を受賞するなど、とても高い地位にいた音楽家です。しかし、彼の生き方を見ていると、何かに縛られるようでもなく、ニヒルにもならず、自由に、思うがままに音楽活動を行っていたように思えます。ネット上の動画などからも、ババジャニアンの自由で無邪気にも見えるパフォーマンスを観ることができます。まさに、ソ連という激動の時代を、自由に駆け抜けた幸せな音楽家で、その清々しい姿には憧れさえもおぼえるほどです。

ノクターン

ピアノとオーケストラ、パーカッション、エレキギターのための『ノクターン』です。現代の人が初めて聴くと、「ダサ格好いい」という感想を持つかもしれません。わざわざピアノ独奏にして演奏することもあるようですが、パーカッションとエレキギターが入った方が、ババジャニアンの清々しい生きざまの表現としては相応しいように思います。確かに、歌謡曲のような雰囲気があり、クラシック音楽の枠ではくくり切れないところがあります。しかし、単に音楽としてとらえたとき、とても素敵な音楽だということに違いはありません。

その他の曲を少し

『メロディーとユモレスク』は単純で簡潔なピアノ小品です。とてもアルメニア的で、哀愁を帯びた、ババジャニアンを代表する曲だと思います。とても好きな曲です。『ノクターン』と同じ路線の曲としては『Fantasy on <Give Me My Music Back>』があります。とても心地よいメロディーの曲です。少し映画『イル・ポスティーノ』のテーマ音楽に似ているような気がします。

ロシア・ピアニズムの四大教師

ソ連には、音楽史上重要な4人のピアノ教師がいました。

レニングラードのニコラ―エフとモスクワの3人、イグムノフ、ゴリデンヴェイゼル、ゲンリヒ・ネイガウスです。

ババジャニアンはモスクワ音楽院のピアノ科の先生、コンスタンチン・イグムノフの弟子になります。

イグムノフはチャイコフスキーの『四季』などで知られる、音楽史上重要な人物です。特に有名なところではフリエール、オボーリン、グリンベルグ、ボシュニアコーヴィッチなどの弟子を輩出しました。非常にロマンティクでトラディショナルな芸風が特徴です。それはババジャニアンにも見られる特徴で、つまり彼はロシアでもトップクラスのピアニストの一人なのです。

お薦めの演奏

①アルノ・ババジャニアンArno Babadjanyan(ピアノ)自作自演盤

 1980 Russian Compact Disc

自作自演のこのCDが一押しです。

ババジャニアンの粋な演奏が光ります。何も知らずにトラック1をかけると、おそらくとても驚くだろうと思います。それほど『ノクターン』は衝撃的な作品で、ほとんどクラシックの枠を超えています。このCDには現代音楽にカテゴライズされるであろう『6つの絵画』や、『メローディーとユモレスク』というとても美しい、哀愁にみちた小品も含まれています。まさにババジャニアンを堪能できる一枚です。

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ババジャニアン 自作自演盤

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ババジャニアン 自作自演盤

まとめ

ババジャニアンを聴いていると、クラシックやポップスなどの括りは何か意味をなすのだろうかと思えてきます。旧ソ連の音楽の幅の広さも感じます。ババジャニアンはクラシック音楽という括りにとらわれることなく、音楽そのものを愛していたのではないかと思います。そして、自分に正直に、すなおに作曲したからこそ、作曲に対するのと同じように誠実な演奏ができるのでしょう。上記のCDでは超一流のピアニストによる、歌謡曲的な一面を持つ、素敵な音楽の演奏を聴くことができます。あまりに開放的で、心のこもった曲と演奏です、好みに合わない人もきっといるでしょう。しかし、私はババジャニアンの無邪気で清々しい生き方も、その曲も演奏も大好きなのです。

 

 

私の好きなクラシック音楽 その5

アレクサンドル・アルチュニアン トランペット協奏曲変イ長調

 アルメニアという国名を聞くとどのようなイメージをもたれるでしょうか?旧ソビエト連邦の一国、コーカサス、歴史上初めてキリスト教を国教とした国、自然の美しい国、そしてアラム・ハチャトリアンを輩出した国といったことを連想されるのではないかと思います。

 

 アラム・ハチャトリアンはクラシック音楽を語るうえで欠くことのできない、極めて重要な作曲家の一人です。『剣の舞』をご存知の方は多いと思います。代表作の一つであるヴァイオリン協奏曲を聴いてみると、その民族性豊かな、個性あふれる音楽に魅了されます。ハチャトリアンの音楽を決定づけているのは、彼個人のもつ個性もありますが、何よりも彼の民族性、つまりアルメニアの民俗音楽なのです。彼と同郷の作曲家たち、例えば、今回取り上げるアルチュニアンや、ババジャニアン、バグダザリアンたち他のアルメニアの作曲家の曲を聴くと、その根底に同じものが流れていることがよく分かります。ある部分でとても似ているのです。

 それは具体的にはメリスマ唱法という、発語の一音に複数の高さの音を含み、揺らぐように奏でられる唱法に影響されたローカルな旋法にあります。知っていると「これはとてもアルメニア的だなあ」とうなることになります。

アルチュニアン トランペット協奏曲変イ長調

 アレクサンドル・アルチュニアン(1920-2012)のトランペット協奏曲も、メリスマ唱法からなるとても旋律的でアルメニア的な音楽です。休みなく続けて演奏されますが、三部で構成される協奏曲で、第一部は、イントロダクションとアレグロ楽章、そしてとても美しい第二部を挟んで、第三部はまたテンポの良い終楽章になっています。1950年に完成した比較的新しい曲ですが、ハイドン、フンメルとともに三大トランペット協奏曲として今やとても重要なトランペットのレパートリーとなっています。この曲の人気の理由は、何よりもトランペットの魅力を余すところなく引き出しているところ、つまり、メリスマ的な旋律、リズムがトランペットと抜群の相性で共鳴していること、そして比較的コンパクト(約14分ほどの演奏時間)であることと、そしてとても単純明快なことだと私は思います。きっと一度聴くと忘れられない曲なので、是非、多くの人に知ってもらいたい曲の一つです。

ソビエト連邦下の民族性

 ソビエト連邦における音楽、もしくは他の芸術を、画一的に上から統制されたものであるとするのは間違いであると私は思います。社会主義リアリズムというものは、どれも同じような画一的なものではなく、前衛的なものから保守的なものまでかなり幅のある、実はその定義が相当にいい加減なものなのです。

 悪名高いジダーノフ批判も、実際には作曲家たちの投票によりその批判の矛先とされる作曲家たちが決められ、プロコフィエフの第6交響曲がその例題にあげられました。

 また、例えば、ソビエト連邦支配下の音楽界のトップに君臨してた赤いベートーヴェンことフレンニコフは単純な美しい曲から、より前衛的な音列技法を用いた曲までを作曲し、規範を指し示しました。

 スターリン言語学が民族の多様性の保存を目的の一つとしたように、アルメニアをはじめ、特徴的にして多様な民族音楽ソビエト体制下で繁栄したことは特筆すべきことです。

 一つ興味深いお話として、アルメニアの音楽にふれておくと、アルメニアンポップスというものがあります。なんとなく演歌を思わせるような哀愁溢れるメロディーが特徴のポピュラー音楽です。アルチュニアンが活躍したアルメニアイスラム革命前のイランとトルコと国境を接しています。つまり、西側諸国のすぐお隣の国なのです。ソビエト連邦当局がいかにそれを拒もうとも、文化の流入を食い止めることは至難の業です。上記に触れたババジャニアンという作曲家は「ノクターン」という、ピアノとエレキギター、パーカッション、オーケストラのための曲を作曲しています。私は好きですが、なんだか歌謡曲のメロディーのようで、それを生真面目に演奏して、観客がとても喜んでいる様子が微笑ましくも感じられます。ババジャニアンにアルメニアンポップスの礎を聴きとることができます。

 つまり、ソビエト連邦では、各地で多くの民族の個性あふれる様々な音楽が花開き、聴かれたわけです。そこが大変、奥深く、そして面白いところです。

お薦めの演奏

①ティモフェイ・ドクシチェルTimofei Dokshitser(トランペット)ゲンナジー・ロジェストヴェンスキー盤 ボリショイ劇場管弦楽団 1968 MARCOPHON

 ティモフェイ・ドクシチチェル(1921‐2005)による演奏。そもそもアルチュニアンがドクシチェルのために書いた曲というわけではなかったのですが、結果的にこの曲はドクシチェルに献呈されました。ソビエト連邦を代表するトランペット奏者の一人で、さすがに凄い演奏です。音色は少し影と潤いがあり美しいです。それが第二部の導入部ではこの上ない美しさを呈しています。他の追随を許さない、定番中の定番でしょう。

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ドクシチェル ロジェストヴェンスキー盤

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ドクシチェル ロジェストヴェンスキー盤

②モーリス・アンドレMaurice André(トランペット)モーリス・スーザン盤  

 フランス国立放送フィルハーモニー管弦楽団 1964 ERATO

 言わずと知れたフランスのトランペット奏者、モーリス・アンドレ1933-2012)による演奏。ドクシチェルは手に入りにくいCDですが、こちらは容易に入手可能です。ドクシチェルと異なり、からっとした明るい、突き抜けるようなトランペットで、こちらも情感豊かにこの曲の長所を十分に表現していると思います。お買い得6枚組CDで、モーリス・アンドレを堪能できます。

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モーリス・アンドレ スーザン盤

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モーリス・アンドレ スーザン盤


 まとめ

 トランペットという楽器はとても美しい音色を持つ楽器です。ですが、ジャズや吹奏楽と異なり、クラシック音楽では主役として協奏曲のソロを担うということはやや少ないと言えます。しかし、この曲と、その演奏を聴いていると、もっととり上げられて当然の楽器なのではないかと改めて思います。チェコフィルの首席トランペット奏者であったケイマルが吹いていたらどんな演奏だっただろうかと想像してしまいました。 

 そして、やはりアルメニアの音楽はとても面白いです。その層の厚さと特徴的で豊かな民族性はある意味でショパンの国ポーランドにも匹敵するのではないかと思います。ポーランドにいかにパデレフスキやシマノフスキがいようとも、やはりずば抜けて有名なのはショパンであるように、アルメニアにもアルチュニアンやババジャニアンがいようとも、ずば抜けて有名なのはハチャトリアンであることも似ています。両国の音楽に原型として根差しているのは、ショパンであり、ハチャトリアンなのです。そしてその大きな流れの中にアルチュニアンは巨星として輝いています。しかしアルメニアのような小さな国のどこにそのようなエネルギーがあるのでしょうか。旧ソビエト連邦の音楽の奥深さを感じさせます。

私の好きなクラシック音楽 その4

フランシスコ・エスクデロ ピアノとオーケストラのためのバスク協奏曲

スペイン音楽の源流とは

 スペインの音楽と聞くと、どのような音楽を連想するでしょうか?

 フラメンコのような情熱的な民謡、もしくは映画『禁じられた遊び』で用いられた『ロマンス』やロドリーゴの『アランフェス協奏曲』のような哀愁に満ちたギターの名曲を思い浮かべるのではないでしょうか?イスラムによる支配の影響で、少しエキゾチックな香りが加味された魅力的な音楽を好んで聴かれる方も多いのではないかと想像します。

 

  では、スペインの音楽をクラシックという括りでとらえると、今、私たちが想像するような音楽はどのような由来をもっているのでしょうか?

 スペインでおそらく最も尊敬され、愛されている作曲家といえば、『三角帽子』や『恋は魔術師』などで有名なマヌエル・デ・ファリャでしょう。素敵なピアノ小品もいくつも作曲しています。フランスで学び、ドビュッシーラヴェルらと親交を結んで、それら印象派の音楽と、伝統的なスペイン民俗音楽のリズムと、先人であるアルベニスグラナドスなどの音楽を融合し、その後のスペイン音楽の核となるスペイン印象主義を準備した偉大な作曲家です。印象派という形式が、ファリャの音楽表現の手段として、そしてスペインの民俗音楽を表現する手段としてこの上なく適合したのでしょう。あたかもそれが初めから自然とそこにあったかのように、大きなスペイン音楽の潮流を作り出したのです。

フランコ政権下の音楽

 フランコ政権と聞くと、ナチスとの協力関係などから悪い印象を持たれる方が多いと思われます。ですがスペイン音楽を考えるとき、その影響力は無視することはできないのです。

 ファリャはスペイン内乱で親友のガルシア・ロルカを殺されたため、アルゼンチンに亡命します。しかし、ファリャの音楽を心から愛していたフランコ将軍が、何度もファリャを呼び戻そうとしたこと、また紙幣にファリャの肖像を用いたことが知られています。

 そんなフランコの指導の下、ファリャのスペイン印象派の音楽を主軸とし、さらに民族色を前面に押し出したスペイン純粋主義が提唱され推し進められました。特徴としてはフラメンコなどの民謡を用いるなど民族色の濃いものであることや、スぺインの地名やスペイン独特の特徴ある名称(セレナータなど)が曲名に用いられたことなどが挙げられます。

 今回とりあげるエスクデロはスペイン純粋主義の作曲家の一人で『ピアノとオーケストラのためバスク協奏曲』は自らの出身地の名を冠した作品ということになります。

ピアノとオーケストラのためのバスク協奏曲

 フランシスコ・エスクデロFrancisco Escudero(1912-2002)はバスク地方出身のスペインの作曲家です。フランコ政権のもとで、いわゆる体制派の音楽家として活躍しました。

 彼の作品の中で最も有名で、私が気に入っているのは『ピアノとオーケストラのためのバスク協奏曲』です。

 スペイン純粋主義の特徴を色濃くもつ、いかにもスペイン的な曲で、同じくスペイン純粋主義音楽の代表格である『アランフェス協奏曲』にも通じるところがあると思います。例えば『アランフェス協奏曲』は第1楽章、第3楽章がフラメンコ、第2楽章がスペインの演歌ともいうべきコプラで構成されています。『ピアノとオーケストラのためのバスク協奏曲』の、少し哀しげでこの上なく美しい第2楽章もやはりコプラで、とりわけその第1主題はその特徴を顕著に表しています。この楽章の最後には5回、鐘の音が響くのですが、これはこの曲が挽歌という性格をもっているということなのでしょうか?

私の近頃のお気に入りの曲で、できるだけ多くの人にこの曲の良さを味わっていただきたいと強く思います。

お薦めの演奏

マルティン・イマズMartin Imaz(ピアノ)アタウルフォ・アルヘンタ盤

 1951 SCRIBENDUM 

 スペインの誇る名指揮者、アルヘンタによる指揮をベースにマルティン・イマズさんがピアノを弾いています。このピアニストに関して詳細が分からないのですが、存在感のあるとても良い演奏で、デル・プエロやソリアーノといった名ピアニストを多数輩出しているスペインのピアニストの層の厚さを感じます。ちなみに、当時19歳だったイエペスを起用して『アランフェス協奏曲』を演奏し、イエペスの名を一躍有名にならしめたのもアルヘンタです。プレイボーイとしても知られた彼ですが、事故による早すぎる死が悔やまれます。

 このCDは最近発売されたもので、22枚組にアルヘンタの魅力がぎっしり詰まった素晴らしいものになっています。『ピアノとオーケストラのためのバスク協奏曲』は是非、この演奏で聴いていただきたいものです。

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イマズ アルヘンタ盤

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イマズ アルヘンタ盤

まとめ

 「体制派の音楽」は大抵、批判され評価されにくい傾向があると感じています。しかし私は、体制とはあくまで一つの枠組みだととらえています。たとえそれが独裁政権下の人々であっても、そこを舞台としてそれぞれの、かけがえのない一つの人生をおくります。そこには間違いも、悩みも、喜びもあることでしょう。『ピアノとオーケストラのためのバスク協奏曲』、第2楽章の終わりの5回の鐘の音は、そんな人の一人であるエスクデロの心情の告白でもあるのかもしれません。鐘の音は死者への追悼を表すものです。音楽は時代を映し出す鏡のようなものでもあります。いずれにせよ、まず先入観をもたずに聴いてみて、そして調べてみて自分で判断すること、それが大切なのではないかという気がします。この曲が何度も繰り返して聴いてしまうような、そんな美しい曲であることに違いはないのですから。

 

 

私の好きなクラシック音楽 その3

アーネスト・ジョン・モーラン  チェロとピアノのための前奏曲

「あなたのためにチェロ協奏曲を書いてもいいですか?許してくださるのでしたら、わたしの全てをかけて作曲します」

 1945年、51歳のモーランは40歳だった女流チェリスト、ピアーズ・コートモアにこのような手紙を送りました。

 はたして二人は結婚するのですが、幸せな時間はそう長くは続かず、桟橋から落下してモーランが死んでしまうまでほんの5年足らずの短い間でした。

 しかし、少なくともモーランにとってはこの束の間の時間が、彼の波乱万丈の人生のなかで、もっとも幸せで充実していたのだと私は考えています。

 

 アーネスト・ジョン・モーラン E.J.Moeran(1894-1950)はディーリアスやヴォーン=ウィリアムスなどに代表されるイギリス田園主義にカテゴライズされる作曲家です。スタンフォード、後にアイアランドに学びましたが、私はこの3人の作曲家が大好きです。ブラームスと親しかったスタンフォード、そしてイギリス印象主義に分類されてはいますが、それだけでは語ることのできないアイアランドに関してはまた後日、別の記事でとり上げたいと思います。

 

 モーランの生涯はまさに波乱万丈なものだったと言ってよいでしょう。

 スタンフォードのもとで学んでいたモーランは、第一次世界大戦に従軍して頭部に大けがを負ってしまいます。これが、後の精神疾患のもとになったとされています。帰国後、アイアランドのもとで学びますが、王立音楽院を卒業後、その類まれなる才能にもかかわらず、アルコール依存と精神疾患のためか、あまり評判の良くない仲間たちと放蕩な生活を送り続けます。それは極めて長期にわたるものでした。

 

 イギリスの交響曲を代表する曲の一つである高名な『交響曲ト短調』(1924-37)、『シンフォニエッタ』(1944)はモーランを代表する大曲でしょう。

 一方でモーランは、アイアランドから引き継ぐような形で、たくさんの抒情的で詩的な美しい小品を作曲しています。たとえばピアノ小品『アイリッシュ・ラブソング』のような。その背景には、故郷の酒場で収集したイギリス民謡の影響があると思われます。

チェロとピアノのための前奏曲

 1945年のチェリスト、ピアーズ・コートモアとの結婚はまた、モーランの代表作に数えられる『チェロ協奏曲』と『チェロ・ソナタイ短調』という傑作を生みだします。モーランにとってチェロは彼女の存在なしには考えられない楽器だったでしょう。そして結婚の前年1944年に作曲されたのが『チェロとピアノのための前奏曲』です。ピアーズのためにモーランが初めて作曲したチェロの曲で、非常に規模の小さい、単純な曲ですが、それはモーランの彼女への愛情と、彼の抒情的な小品群にみられるような詩情豊かな美しさとに満ち溢れています。

イギリス音楽普及の立役者 サー・エードリアン・ボールト

 イギリスを代表する指揮者とは誰でしょうか?ビーチャム?バルビローリ?最近ではラトル?

 私にとっては、圧倒的にサー・エードリアン・ボールト(1889-1983)です。ボールトはEMIでの数々の名曲の録音が知られていますが、その傍ら、リリタ(Lyrita)という小さなレーベル(素敵なレーベルです)で、非常に多くのイギリスものの録音を行っています。それらは非常にレベルの高い演奏で同時代の作曲家たちを強力にバックアップしたと思われます。その恩恵をモーランももちろん、受けているのです。

お薦めの演奏

①ピアーズ・コートモアPeers Coetmore(チェロ)エリック・パーキン(ピアノ)盤

 1972年  Lyrita

  モーランの妻にしてこの作品を献呈されたチェリスト、ピアーズ・コートモア自身による演奏。この演奏を聴く限り、ピアーズ・コートモアさんはこの曲を弾き込んでいたのではないか、決して閉まっていた引き出しからこの時だけ取り出したような演奏ではないと私には思われました。このCDのメインはチェロ協奏曲で、こちらはモーランの没後20周年を記念してボールトがロンドンフィルを振ったものです。モーランとその人間関係を知ることのできる貴重なCDだと思います。

 

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コートモア パーキン盤

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コートモア パーキン盤


まとめ

 モーランの死後、ピアーズは再婚してオーストラリアで後進の育成に努めます。モーランの死後すぐに再婚したためもあってか、モーランとピアーズとの結婚を必ずしも幸せなものではなかったとされることがありますが、私は長きにわたりアルコール依存や精神疾患に苦しんできたモーランが、人生の最後に掴んだ束の間の、安らかで幸せな生活だったのではないかと想像します。それは、上記に紹介しましたCDのジャケットの写真、イギリス的な荒涼とした大地を幸せそうに寄り添い歩く二人の姿を見れば明らかだと私には思われるのです。

 

私がオーディオにこだわる理由

 

私にとってオーディオとは

 まず、オーディオとは何でしょうか?私にとっては楽しい趣味の一つであり、音や音楽を味わうための道具です。スピーカーひとつとってもそれぞれが何と個性的な鳴り方をすることでしょうか?それがまた、アンプやプレーヤーとの組み合わせに応じてその個性を変えていくのです。そこが楽しくて、とても好きなのです。

 クラシックギターをほんの少しつま弾きますが、ほとんど聴く方に専念している私にとって、それは楽器のようなものでもあります。オーディオに手を加えていくことは楽器を育てるのにも似た喜びがあります。

よい音で聴くために

  クラシックの中でもヒストリカルを好む私のようなものにとって、再生装置はとても重要なものです。何しろ関心のあるほとんどの演奏家の演奏をコンサートで聴くということが叶わないのですから。

 オーディオの音というのは、電気信号を変換して再生するわけですから、自然の音とは当然、異なります。そんな音のどこが良いのか?生の楽器の音とは比較にならない、という考え方もあり、一切のオーディオ装置を持たない方もいらっしゃいます。一方で、自然の生音を再現しようとの理想に情熱を傾ける方もいらっしゃいます。

 では、私は?

 私はそのあたりの議論には距離をおいていて、シンプルに次のように考えています。

 自然界の生音とオーディオ装置の音は違うけれども、過去の演奏を聴くにはオーディオ装置をとおして聴く他なく、それをできるだけよい音で聴きたい、と、そのように考えているのです。

なぜヒストリカルを好むのか

 クラシック愛好家の中でもやや冷ややかな目で見られることも多いヒストリカルマニアですが、私がヒストリカルを好む理由は一言で言うと、薫り高く素晴らしい内容の演奏が多いと私には感じられるからです。古い録音ですと100年遡ることも可能ですが、その100年という長い歴史の中で残ってきた演奏です。その中には筆舌に尽くし難い素晴らしい演奏があることは容易に想像がつくことでしょう。CDとはタイムカプセルのようなものです。私はそこに、時代やその場の空気、演奏家の生きざまから滲み出るもの、息遣いやニュアンス、余韻といったものを感じるのです。演奏によっては風がふくこともあります。

 そして、長い歴史の中で、政治的な思惑によって排除されたり、レコード会社の主導による商業ベースに乗れなかった素晴らしい演奏がたくさんあるのです。そのような演奏に出会うことはヒストリカルの醍醐味で、そのために日夜、レコードをあさり続けるのです。

まとめ

 いろいろ書いてきましたが、結局、私はオーディオ機器が好きなのだと思います。もちろん、音楽を聴く道具としてですが。

 今回、オーディオの記事を当ブログに載せることにしたのは、私が音楽を聴く際に楽しんでいる要素の一つだからです。よい演奏を、そのニュアンスが聴きとれるような、よい音で聴けたら最高だとは思いませんか?また時々、オーディオのお話も織り交ぜていこうかと思っています。

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自室のサブシステム

 

私の好きなクラシック音楽 その2

ヴィルヘルム・ペッテション=ベリエル 『天の星のように』

 

ペッテション=ベリエル(18671942)という作曲家をご存知でしょうか?

 

北欧の音楽といえば、どの作曲家をイメージするでょうか?

グリーグシベリウス、ニールセン。

おそらく一般的に思い浮かべるのはその3人ではないでしょうか?

 

グリーグノルウェーの、シベリウスフィンランドの、ニールセンはデンマークの、それぞれの国を代表する素晴らしい作曲家です。

 

ではスウェーデンは?

 

あまり突出した才能を持つ作曲家がいないのではないかと思われがちですが、ステンハンメル、アルヴェーンという二大巨頭をはじめとして、とても優れた作曲家が実はたくさん存在します。私はその層の厚さゆえに、スウェーデンのある特定の作曲家が、他の北欧諸国のようには有名にならなかったのではないかと推測しています。

(なお、グリーグシベリウススウェーデン語の話者であったことは特記すべき点でしょう)

 

その中の一人がベリエルです。

 

時代はロマン派、国民楽派の時代。

ロマン的な抒情を湛えつつ、民族的な旋律、リズムをとりいれた楽曲をベリエルも作曲しました。

 

代表作にして日本でも最も有名なのはピアノ曲集『フレーセーの花々』でしょう。

グリーグの『抒情小曲集』の影響は明らかで、とても美しく詩的なピアノ小品たちです。

フレーセーというのはベリエルが愛して住んだ湖に浮かぶ島のことで、ベリエルの自然への愛情をうかがいしることができます。

 

一方で、ベリエルは辛口の批評家、そしてニーチェのドイツ語からスウェーデン語への翻訳者としても知られています。

きっと自分に対してはとても厳しい人だったのでしょう。しかしその曲は優しい、細やかな感情にあふれています。

 

歌曲『天の星のように』

 

ベリエルはまた多くの歌曲を残しています。

その中でも私がもっとも気に入っているのが『天の星のように』です。

この歌曲はベリエル自身が作詞しています。

歌曲の理解には歌詞が必要かと思いましたので、訳出してみました。

拙い訳ですが、参考にされてください。

 

Som stjärnorna på himmelen, när natten faller på, 

så tindrade hans ögon, så klara och så blå, 

så röder var hans mund, 

som rosorna i lund 

om våren. 

 

Men skyarne församlades och solen vände bort, 

ty livet liksom kärleken och våren är så kort. 

När löven föllo av, 

de föllo på hans grav, 

den tida

 

Om alla träd i skogarna och böljorna de blå, 

om alla markens blomster hade fåglalungor små, 

de kunde ej ändå 

min hjärtesorg förmå 

att sjunga.

 

対訳

 

夜が訪れ、天に星がきらめくように

いつも彼の瞳は閃いていた

それは透き通って、青かった

彼の唇は春の森に咲くバラのようだった

 

しかし雲が集まり日光が遮られた

そう、人生は愛や春のように儚い

木葉が落ちるとき、

それは彼の墓の上に落ちるのだ

 

森のすべての木々をみおろし、

あらゆる青い波を渡った猛禽たちでさえ

ここではどの花の前でもちっぽけで

私の心の痛みが

どこからくるのか

歌うことはできなかったのだ

 

 

解釈

 

夜から昼へ、

花咲く春から木葉の落ちる晩秋へ、

視線が移りかわっていきます。

青春や人生の儚さが自然の描写に合わせて表現されます。

 

そして視点はメタ的になり、

世界を見渡す神のような視線に飛翔します。

それでも真実は変わることなく

ただよりどころのない心の痛みをかんじている。

 

私はこのように解釈しました。

みなさまはいかがでしょうか?

お薦めの演奏

①ニコライ・ゲッダNicolai Gedda  ジャン・アイロン(ピアノ)盤

 1980年 Bluebell

ニコライ・ゲッダ(1925‐2017)はスウェーデンの名テノールです。とても多くの言語をあやつり、例えばイタリアの歌曲はベルカント唱法で歌うなど、その言語に応じて歌唱法を変えるということでも知られるおなじみの歌手です。そのゲッダが母国語で歌うと、このようになるのですね。ゲッダ自身がこの曲をとても愛していることがよく分かるような、そんな情感たっぷりな、本当に美しい歌唱です。このCDははじめに7曲、『フレーセーの花々』が入っていてそちらも大変すばらしい演奏です。Esther Bodinさんのピアノです。

 

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ゲッダ ジャン・アイロン盤

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ゲッダ ジャン・アイロン盤


②ニコライ・ゲッダNicolai Gedda ニルス・グレビリウス 盤

 1965年 Swedish Society

 こちらはオーケストラ伴奏版です。ピアノ伴奏版が定番ですが、こちらもなかなか良いです。少しゆっくりめにたっぷりと歌い上げています。ゲッダの伴奏ではありませんが、名指揮者ヴェステリヴェリのピアノが聴ける希少なCDでもあります。

 

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ゲッダ グレビリウス盤

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ゲッダ グレビリウス盤


まとめ

 他の北欧諸国の音楽に比べてスウェーデンの音楽に私が感じるのはドイツ、フランスなどの中央ヨーロッパ諸国の音楽との近似性です。首都ストックホルムは、ヴェルディの『仮面舞踏会』でも知られるグスタフ三世の時代には北のパリと言われるほどに隆盛を極め、以降、北欧一の文化都市となります。文学、絵画との交流もあり、音楽界も一周辺地域としての域を超えた存在感をもっていて、繰り返しになりますが、やはり北欧の中心としてたくさんの偉大な作曲家を生んだのだと思われます。ベリエルはワーグナーの影響を強く受けましたが、『フレーセーの花々』他で感じられるのはむしろシューマン的な世界なのではないかと思います。交響曲やヴァイオリン協奏曲などとても素敵な大曲がありますが、フレーセーのようなピアノ小品に、そして『天の星のように』のような小さな歌曲にこそベリエルの魅力がつまっている、そんな気がします。

 

 

私の好きなクラシック音楽 その1

ブラームス ピアノ協奏曲第1番ニ短調 作品15

さて、記念すべき第1回目はヨハネス・ブラームス

ピアノ協奏曲第1番ニ短調をとりあげます。

数えきれないほど存在するピアノコンチェルトのなかで、

私がもっとも好きな曲がこのブラームスのピアノ協奏曲第1番です。

 

 

ブラームスといえばドイツの作曲家ですが、シューマンの弟子であり、

R・シュトラウスの先生です。

私はこのシューマンブラームスR・シュトラウスという

師弟関係のリレーがとても好きです。

ドイツ音楽の本流のように思えます。

 

ある日、シューマンの娘が玄関のドアをあけると

そこに金髪碧眼のハンサムな青年が立っていました。

それがまだ20歳のブラームスです。

彼は携えてきた自作のピアノ曲シューマンの前で披露します。

その時、きっとシューマンは驚愕しただろうと思います。

とっても素晴らしい今までに聴いたことのないようなものでしたから。

(私はブラームスの初期ピアノ作品にはベートーヴェンの後期ピアノ作品の

影響が多くみられると思っています)

 

さて、晴れてシューマンの弟子となったブラームス

数々の名曲を作曲するのですが、

シューマンの影響をうけながらも、

健康的な独自性のある大作を生み出していきました。

 

そのなかの一つがピアノ協奏曲第1番ニ短調です。

 

ブラームスはその生涯にピアノ協奏曲を2曲、作曲しています。

どちらも規模の大きな曲ですが

ピアノ協奏曲第一番はブラームスが24歳のときの作品です。

3つの楽章からなりますが、

シューマンの妻であった クララ・シューマンの肖像を描いた

とされる静かで美しい第二楽章がとても好きです。

 

お薦めの演奏

①ジュリアス・カッチェンJulous Katchen  ルドルフ・ケンペ

 1967年 ICA CLASSICS 

 ジュリアス・カッチェン(1926-1969)はアメリカのピアニストですが、ブラームススペシャリストで生涯にわたりこの曲を4回録音しています。これはその最晩年のものです。残念ながら癌で42歳で亡くなっています。カッチェンのこの演奏はそれまでの3回と異なり、何か生き急いでいるような、どこか悲しい気迫を感じます。やはりブラームスにカッチェンははずせません。

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カッチェン盤

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カッチェン盤

ウィリアム・カペルWilliam Kapell  ドミトリー・ミトロプーロス

 1953年 MELODRAM

    ウィリアム・カペル(1922-1953)もアメリカのピアニストです。残念なことに飛行機事故で夭逝しています。この演奏は第二楽章がとても素晴らしいです。美しく、そしてどこまでも深いです。ギリシャの高僧との異名をもつミトロプーロス指揮のオーケストラが支えて演奏をより深いものにしています。

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カペル盤

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カペル盤

③エリック・テンベルクErik Then-Bergh  カレル・アンチェル

 1958年 SUPRAPHON

 エリック・テンベルク(1916-1982)はドイツのピアニストです。統合失調症を患っていたピアニストですが、この演奏は王道とも言えるような演奏です。美しく、しなやかで、何度もはっとさせるようなところがあります。個人的に第三楽章はベストだと思います。

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テンベルク盤

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テンベルク盤


まとめ

名曲中の名曲ですから、他にもたくさんの良い演奏があります。有名どころを少し挙げると、カーゾン、セル盤、ギンペル、ケンペ盤などなど枚挙にいとまがありません。ですが、やはり上述の3つの演奏はお勧めです。それにしてもアメリカ出身の有望な2人のピアニストが若くして亡くなったというのはアメリカ音楽界の悲劇としか言いようがありません。当時、ロシアやヨーロッパからの移民や亡命組がアメリカの音楽界を牛耳っていましたから。とりわけ国内での活動も多かったカペルを失ったことは大きかったでしょう。もしこの2人が長生きをしていたら歴史が、少なくともブラームスの演奏史が変わっていたのではないでしょうか。