音楽のように

ヒストリカルクラシックのブログ

私の好きなクラシック音楽 その8

スタンフォード 交響曲第6番 変ホ長調 作品94

忘れられていた作曲家 スタンフォード 

 サー・チャールズ・ヴィリアーズ・スタンフォードSir Charls Villiers Stanford(1852-1924)という作曲家・指揮者・教師がいました。北アイルランド出身のこの人物は、ブラームスの熱心な支持者であったほか、非常に優れた教師として知られています。弟子にはホルストヴォーン・ウィリアムズ、アイアランド、ブリッジ、ブリスなど、英国の誇る名だたる作曲家が名を連ねます。

 しかし、実際には作曲家としても非常に優れていて、私はもっと再評価されてよいと思っています。

 スタンフォードが活躍した同時代の作曲家には、エルガーとパリーがおり、この二人と並んで、イギリス音楽の礎を確固たるものにした立役者でもあります。

 彼の作品は多岐にわたり、エルガーが作曲しなかったピアノ協奏曲の分野ではとりわけ優れた作品を残していますし、7つの交響曲や、合唱曲の数々、オペラなどなど、ほぼ全ての分野で作曲をしました。ブラームスの影響を色濃く受けていますが、その作風は、彼の弟子たちに代表されるイギリス田園主義音楽に通じるものです。派手さはありませんが、非常に美しい音楽でした。

 では、なぜ、スタンフォードは作曲家としては忘れられていたのでしょうか?

 一つには、彼の弟子たちが極めて優れていたことが挙げられます。それは言い換えれば、教師としてのスタンフォードの力量が優れていたとも言えるでしょう。音楽に限らず、優れた先生というのは、自分よりも優れた弟子を育てるものです。それは、歴史上に燦然と輝くピアニストであり名教師であった、アルフレット・コルトーや、ゲンリヒ・ネイガウス、アルトゥール・シュナーベルなどの例を見れば明らかです(少なくとも、彼らよりも弟子たちの演奏の方が現代ではよく聴かれています)スタンフォードはそんな名教師の一人でした。だから、彼の弟子たちの名声の中に埋もれていったのでしょう。

 もう一つ考えられる要因としては、イギリス音楽普及の立役者にして最大の指揮者、サー・エードリアン・ボールトが、おそらく意図的にスタンフォードをあまり取り上げなかったことでしょう。晩年、スタンフォードエルガーとの間に確執をかかえていました。ボールトはエルガーの親しい友人でしたし、ボールトがスタンフォード作品の魅力に気付かないはずもないので、おそらく意図的に無視したものと推測されます。

再評価への試み、ハンドリーの功績

 1980年代あたりから、スタンフォードの作品群を全て取り上げ、全集を録音した指揮者がいました。バーノン・ハンドリーです。スタンフォードと同郷の北アイルランド出身のこの指揮者は、ボールトの弟子でした。

 以前の記事でも述べましたが、ボールトはイギリス音楽を世界に知らしめた立役者でありました。

 そんな側面を受け継いだのが、このハンドリーです。ハンドリーは同時代を含め、自国のイギリス音楽を積極的に取り上げ、録音していきました。この功績はとても素晴らしいものですが、彼にサーの称号がつかないのは、彼が北アイルランド出身だったからかもしれません。同郷のスタンフォードへの思い入れもさぞ強かったでしょう。

 私が素晴らしいと思うのは、ハンドリーが、師であるボールトの取り上げなかった作品を、あえて取り上げ、イギリス音楽普及への職責をしっかり果たしたということです。

 この関係は、ドイツにおけるアーベントロートと、サバリッシュの関係に似ています。ユダヤ人であるメンデルスゾーンの作品を取り上げなかったアーベントロートの代わりに、後年、サバリッシュはメンデルスゾーンのすべての楽譜の校訂を果たしました。アーベントロートナチスドイツ協力のために、今では大の嫌われ者ですが、もちろん、優れた指揮者・研究者であり、そんなアーベントロートをサバリッシュは「ドイツの良心」と呼んだのです。ナチスドイツの犯した罪は大変なことであり、許されることではありませんが、ただ言われるがままに「善玉フルトヴェングラー、悪玉クラウス」と決めつけてしまうにはあまりにナイーヴで、実際にはそんな単純な話ではなく、アーベントロートにも同じことがいえると思うのです。

 話が少しそれましたが、師が敬遠していたスタンフォードをハンドリーが取り上げ、本格的な演奏で全集を作り上げたことは、スタンフォードの再評価への大きな一歩であったことは間違いありません。

交響曲第6番 変ホ長調 作品94 G・F・ワッツの偉業を称えて

 スタンフォードの代表作の一つ。当時、有名であった画家GF・ワッツの死をきっかけに、画家の作品を題材に作曲されました。愛と死が主題になっており、愛のテーマと死のテーマが曲中に現れます。私はとりわけ三部形式をとる緩徐楽章が最も好きです。愛のテーマが第一主題ですが、それに続く中間部(トリオ)の旋律がとても美しく、スタンフォード作品のなかでも最も優れたメロディーなのではないかと思います。曲全体は、スタンフォードらしく派手さのないものですし、影響を色濃く受けたというブラームスともまた違うものです。私が感じたのは、この素朴ともいえる作風が、後の弟子たちに受け継がれていったのだなとよくわかることと、エルガーに比べても、何ら劣っているところはないということです。是非、聴いてみていただきたい一曲です。

お勧めの演奏

①バーノン・ハンドリーVernon Handley指揮 アルスター交響楽団 盤

 1988 Chandos

 バーノン・ハンドリー(1930-2008)が北アイルランドに所在する唯一のプロのオーケストラ、アルスター交響楽団を指揮した演奏。ボールトの弟子の中でも最も芸風がボールトに近いと私には思われ、それ故に、ボールトが振らなかった作品をハンドリーが演奏したことは意義深いと思います。実力派の指揮者で、本格的な演奏です。ハンドリーになぜ、サーがつかないのか不思議でなりません。

 スケールの大きな巨匠の演奏ですが、抑制が効いており、決してスペクタクルにはなりません。これは非常に重要なことで、演奏に品位をあたえます。奇をてらわず、自然でいて、独特のニュアンスに富んでいる。一聴の価値ある演奏です。

f:id:shashinchan:20191207003103j:plain

ハンドリー アルスター交響楽団

f:id:shashinchan:20191207003141j:plain

ハンドリー アルスター交響楽団

まとめ

 今回はイギリス音楽界の名教師、スタンフォードについてとりあげました。スタンフォードは本当に名教師で、その弟子には私の大好きなアイアランドや、モーランも含まれます(モーランは大戦後アイアランドに師事します)、以前にも述べましたが、私はこの3人の師弟関係のラインが好きです。

 モーランも、アイアランドも、そしてスタンフォードも、人間として生きていく上でたくさんの悩みを抱えていました。きっとそんな悩みに、師弟は寄り添ったのでしょう。そして作曲が、ある時は推進力となり、またある時は癒しとなったでしょう。創作とはそのようなものだと思います。何といっても3人に共通しているのは、真面目で融通が利かず、生き方が必ずしも上手くないということです。スタンフォードをはじめ、この3人は、エルガーやヴォーン・ウイリアムズ、ホルストブリテンなどに比べて有名とは言えません。それは決して作品が劣っているからではなく、あくまで時代や状況が作り出した、言わば運命のいたずらによるものです。そんな彼らの作品が正当に評価され、もっともっと日の光が当たることを心より望みます。

 

私とオーディオ その1

クラシック音楽と私

 物心ついたときから、我が家では、バッハやベートヴェン、ショパンといったクラッシック音楽が流れていました。生活の中に音楽は自然と溶け込んで、それは空気のように馴染み、またなくてはならないものでした。声楽家を志していたこともある母の趣味で、私も自然にクラシック音楽を好むようになりました。

 

 自分から積極的に音楽を聴き始めたのは中学生のころのことです。本に夢中になったり、趣味の写真をはじめたのもこのころです。多感なこの時期にいろいろな芸術に関心を持ち、触れ始めたことが私の財産になったことは間違いありません。その後、様々な人生の局面でこれらは私の拠り所となり、私を助けてくれました。

 

 今や数千枚を数えるまでになったCDですが(今も月、数十枚のペースで増え続けています)、自分で買い求めた初めてのものは、サン・サーンスの『白鳥』でした。美しいメロディーと、優しく深いチェロの魅力にとりつかれていました。他にはショパンのピアノ・コンチェルト、ブラームス弦楽六重奏曲など、ロマンテックなものに惹かれたのは思春期だったからかもしれません。

 

 お気に入りのCDを見つけるのには一筋縄ではいかない時代でした。今ではYou TubeやPrime Musicなどいくらでも試聴したり、情報を集める手段があります。しかし、当時はそのようなものはありませんでしたから、基本的に本や雑誌から情報を集めるしかありませんでした。そんななかで、とても音の良いオーディオがあることを知り、興味をもったのです。それが、私とオーディオとの出会いでした。

 

初めてのオーディオショップ

 自宅にはいわゆる、ミニコンポが備えてあり、それでカセットテープやCDを聴いていました。もっと以前には、山水の大型システムがあったのですが、私たち兄弟が大きくなるにしたがって、何かと物が増え、またそこまでオーディオにこだわることができなくなったためか、いつしかミニコンポに代わっていました。

 

 私がオーディオに興味を持ち始め、私たち兄弟がクラシックを本格的に聴き始めたので、それではオーディオを一式揃えようということになりました。大学生になったばかりのころだったと思います。大阪は日本橋のシマムセンというオーディオショップに、家族で試聴に行きました。家族で行ったのは、家族全員が音楽を好んで聴くためです。

 

 「タンノイなど、聴かせていただけせんか?」と店員さんに尋ねると、「どうぞ」と3階の試聴コーナーへと案内してくださいました。オーディオでキーになるもの、最も大事なのはスピーカーです。これはいわば楽器のようなもので、音の方向性を決定します。そのことを知っていたので、まず、スピーカーからの選定になりました。候補にしていたものをいくつか聴いたのですが納得がいかず、店員さんの紹介でイギリス、タンノイ社のスターリングという、25センチ同軸ユニットのものと、三菱ダイヤトーン20センチウーファーを大きな箱に収めたフロア型のスピーカ―の2台を試聴しました。びっくりするくらいの差で、音がよかったのを覚えています。両方とも箱を鳴らすタイプの楽器的なスピーカーで、どちらもとても魅力的でしたが、主にクラシックを聴く私たちは、クラシックに定評のあるタンノイに決めることにしました。その後、アンプやCDプレーヤーを選定して、結局、以下のようなシステムになりました。

 

スピーカー:TANNOYStirling/TWW

アンプ:山水、AU-α707MR

CDプレーヤー:DENONDCD-S10Ⅱ

カセットデッキ:パイオニア、型番失念

チューナー:パイオニア、型番失念

 

 このシステムは私が意識的に音楽を聴くようになってから初めての本格的なシステムで、スピーカーはもうかれこれ20年以上、メインのポジションで、今でもとても良い音を奏でてくれています。

 

 試聴の際にはCDを持っていきますが、今でも、試聴に行く際にはサンソン・フランソワの弾くショパンの第2コンチェルトを持っていきます。お気に入りで、よくわかっている音源を持っていくのがお勧めです。ちなみにシマムセンさんは今でも頑張っておられるオーディオの専門店で、入りやすく、また親切なお店です。今でも時々、利用しています。

f:id:shashinchan:20191127184336j:plain

当時のメインシステム

 

私の好きなクラシック音楽 その7

アントン・ルビンシュテイン ピアノ協奏曲第4番ニ短調 作品70

ロシアピアニズムの源流、ルビンシュテイン兄弟

 ロシアの音楽家といえば、ロシア音楽の父、グリンカチャイコフスキーバラキレフを中心としたロシア5人組、5人組解散後のRコルサコフを中心としたグループなどが有名です。これらの音楽家は、チャイコフスキーを除いて、民族色の強い、またそのような作風を意図した作曲家たちでした。その一方で、ヨーロッパの正統的なクラシック音楽をロシアに導入しようとした音楽家がいました。それがアントン・ルビンシュテインAnton Rubinstein1829-1894)とニコライ・ルビンシュテインNikolai Rubinstein1835-1881)のルビンシュテイン兄弟です。作曲家、ピアニスト、指揮者であった彼らはロシアにて、サンクトペテルブルク音楽院、モスクワ音楽院を設立します。両音楽院は、ロシア4大教師、ニコラエフ、ゴリデンヴェイゼル、イグムノフ、G・ネイガウスを擁し、まさにロシア・ピアニズムの中心となるのです。ヨーロッパの伝統的な音楽と、ロシア特有の民族音楽がまじりあい、ロシアの音楽は素晴らしい広がりをもって発展していくのでした。

ピアノ協奏曲第4番ニ短調 作品70

 現在、A・ルビンシュテインの曲を取り上げることは少ないです。そんな中では、比較的、演奏の機会が多いのが、ピアノ協奏曲第4ニ短調です。大変、美しい曲で、ロシアのピアノ協奏曲の中で、スクリャービンのものと並んで最も偉大な協奏曲なのではないかと私は考えています。ソナタ形式の第1楽章はとても情熱的、劇的です。しかし、どこか涼しげな色を感じるのはロシアの曲だからでしょうか。第2楽章は三部形式です。遠くから聴こえてくるかのように始まります。非常に美しいメロディーが、ドラマチックなトリオを挟みます。第3楽章はロンドによるフィナーレです。私はやはり第二楽章が好きです。北国の空気のつめたさとコントラストをなすような人の心の温かさ。その心の動きが見えるような気がするのです。そんな優しいメロディーラインについ聴き惚れてしまいます。

二人のピアニスト、レヴァントとギンズブルク

 とりあげられることの少ないA・ルビンシュテインの第4ピアノ協奏曲ですが、早い時期にレコーディングをした二人のピアニストがいました。アメリカのピアニスト、オスカー・レヴァントソ連のピアニスト、グリゴリー・ギンズブルクです。この二人はほぼ同じころの生まれになります(ギンズブルク1904年と、レヴァント1906年)

 今では、オスカー・レヴァントはピアニストとしてよりも、役者、コメディアンとしての方が有名です。ですが、ピアニストとしてもとても才能がありました。ガーシュインの親友であり、共演者にはミトロプーロスオーマンディーなど、当時の超一流の指揮者が名を連ねました。生粋のアメリカ人として初めての、そして破格の名声だったといえます。

 一方、ソ連ではグリゴリー・ギンズブルクが少なくとも2回、この曲のレコーディングを行っています。ギンズブルクにとってはお国ものでもありますが、2回も録音していることから、その思い入れの深さがうかがえます。ギンズブルクは、ロシアの4大教師の一人、ゴリデンヴェイゼルの愛弟子であり、秘蔵っ子でした。リストをはじめ、ロマン派を得意とする、ソ連でもとても人気のあるピアニストでした。不幸なことに、ゴリデンヴェイゼルよりも先に亡くなってしまいます。ショックが大きかったのでしょう、ギンズブルクの死の数日後、失意のうちにゴリデンヴェイゼルは後を追うように他界しました。

 そんな二人のピアニストの演奏を、今でもCDで聴くことができます。

 オスカー・レヴァントの演奏は、ミトロプーロスとの共演ですが、ピアノもオーケストラも表現意欲の高い演奏です。それは消えてしまいそうなくらいのピアニシモや、後ろ髪を引くような指の抜き方などに表れていますが、決して不自然ではなく、核心をついた、必然性のある演奏で、一聴の価値のあるものです。その核心をとらえる力と、表現力の豊かさは、役者もこなす彼ならではのものかもしれません。

 一方、ギンズブルクの演奏は、レヴァントよりもずっと素朴なものと言えるでしょう。ですが、彼の場合、普通に弾いたとしても、滲みだすような表現の豊かさがあります。こちらも説得力のある、自然な演奏で、素晴らしいものです。

 お勧めの演奏

オスカー・レヴァントOscar Levant ディミトリ・ミトロプーロス

 ニューヨークフィルハーモニック 1952 Sony Classical

 オスカー・レヴァント(1906-1972)による演奏。CDは資料も充実した8枚組セットで現行盤(2019.11現在)です。『ラプディー・イン・ブルー~オスカー・レヴァントの素晴らしき生涯』というタイトルで限定販売です。これは一生の宝物となるはずなので、入手できるうちにしておくことをお勧めします。今後、プレミアがつくこと必至です。しかし、何よりも演奏がとても素晴らしいです。ガーシュインとの関係で知られたピアニストですが、そのレパートリーは多岐にわたっています。上記に述べたようにA・ルビンシュテインのピアノ協奏曲も、表現意欲にあふれた素晴らしいものです。麻薬とアルコールのために晩年は楽壇から離れてひっそりと過ごしました。しかし、そのことさえも、彼が、器用ではなく、本物の芸術家として生きたことを裏付けているような気がします。ミトロプーロスはさすがの指揮です。ニューヨーク・フィルとえ言えば、私の中ではミトロプーロスです。

f:id:shashinchan:20191127001327j:plain

レヴァント ミトロプーロス

f:id:shashinchan:20191127001401j:plain

レヴァント ミトロプーロス

f:id:shashinchan:20191127001422j:plain

レヴァント ミトロプーロス

f:id:shashinchan:20191127001442j:plain

レヴァント ミトロプーロス

②グリゴリー・ギンズブルクGrigory Ginzburg A・シェレシェフスキー盤 

 ロシア国立交響楽団 1951 MELODIA  

 グリゴリー・ギンズブルク(1904-1961)による演奏。ギンズブルクは数多くいるロシアのピアニストの中でもとても好きなピアニストの一人です。師であるゴリデンヴェイゼルは偉大過ぎますが、彼にずっと守られて(ゴリデンヴェイゼルは政治的手腕も凄い人でした、チェスの名手でもありました)、それだからこそ、あの伸び伸びとした、純粋な表現が可能だったのでしょう。師とは対照的に、残された写真の、少しはにかんだような、屈託のない笑顔がそれを裏付けているような気がします。ギンズブルクのピアノは、しかしながら、もちろん、ロシアピアニズムの中に輝く一流のものです。美しいタッチと華麗なテクニックは当時の聴衆を夢中にしました。そんな彼の奏でるA・ルビンシュテインは、ロシアの大地を感じさせるような大きさと、土の香りがするような素朴さが共存する、極上の演奏です。

 

f:id:shashinchan:20191127001526j:plain

ギンズブルク A・シェレシェフスキー盤

f:id:shashinchan:20191127001605j:plain

ギンズブルク A・シェレシェフスキー盤

f:id:shashinchan:20191127001637j:plain

ギンズブルク

まとめ

 ロシア・ピアニズムの源流ともいえるピアノ協奏曲と、とても対照的な二人のピアニストについて述べてきました。ほぼ同時代を、アメリカとソ連という別世界で過ごした二人のピアニストは、何を思ってこの曲に臨んだのでしょうか。とりわけ、アメリカでこの曲を大々的に取り上げたレヴァントの想いはどのようなものだったのでしょうか(レヴァントは他に、ハチャトリアンやプロコフィエフショスタコーヴィッチなどソ連産の音楽をとりあげています)他にも、ショスタコーヴィッチのピアノ協奏曲第1番のアメリカ初演などを果たし、米ソの交流において重要な役割を果たしたユージン・リストや、プロコフィエフが世界的な名声をすでに得ていたとはいえ、プロコフィエフのピアノ協奏曲を世界で初めて全曲、レコーディングしたジョン・ブラウニングなど、アメリカにはソ連産の音楽をとりあげる演奏家がたくさん存在しました。政治的な立場を超えて、もしくはそれを乗り越えるために、音楽の本質をとらえて悪いものとせず、心から曲を愛して、勇気をもって演奏にのぞむこと、それはとても尊い行為に思います。音楽に国境はなく、彼らこそ本当の国際人だといえるのではないでしょうか。

 

 

私の好きなクラシック音楽 その6

アルノ・ババジャニアン『ノクターン

清々しく時代を駆け抜けた作曲家

アルノ・ババジャニアンArno Babadjanyan1921-1983)という作曲家をご存知でしょうか?

前回、とりあげたアルチュニアンの友人で、同郷のアルメニア出身の作曲家、ピアニストです。

作曲家としてはアルメニア独特の民族音楽のテイストを含みながら、12音階技法を用いた『6つの絵画』から、簡潔なピアノ独奏曲『メロディーとユモレスク』まで、幅広いスタイルで楽曲をつくりました。そして、何よりも彼に特徴的なのは多数の歌謡曲を作曲したこと、また、今回とりあげる『ノクターン』や『Fantasy on <Give Me My Music Back>』のような、アルメニアンポップスに通ずるような、パーカッションやエレキギターを用いた哀愁のある楽曲を作曲したことです。

 

旧ソ連において、社会主義リアリズムの音楽は「形式的には民族的、内容的には社会主義的」であることが定義され、求められました。

しかし、正直なところ、この定義は曖昧で、実際、とても幅の広いスタイルの音楽が作曲されました。

ババジャニアンもそのような多様な音楽を作曲した作曲家の一人です。

 

ピアニストとしてはイグムノフ・スクールの一員です。つまり、ソ連のピアノ演奏における保守本流に属していたことになります。そのババジャニアンが新しい、エレキギターを用いた、歌謡曲のような曲を作曲し、自らピアノで演奏するようになるのですから、ソ連の音楽はとても奥深いと言わざるを得ません。

 

ババジャニアンはソ連人民芸術家、アルメニア共和国人民芸術家で、スターリン賞を受賞するなど、とても高い地位にいた音楽家です。しかし、彼の生き方を見ていると、何かに縛られるようでもなく、ニヒルにもならず、自由に、思うがままに音楽活動を行っていたように思えます。ネット上の動画などからも、ババジャニアンの自由で無邪気にも見えるパフォーマンスを観ることができます。まさに、ソ連という激動の時代を、自由に駆け抜けた幸せな音楽家で、その清々しい姿には憧れさえもおぼえるほどです。

ノクターン

ピアノとオーケストラ、パーカッション、エレキギターのための『ノクターン』です。現代の人が初めて聴くと、「ダサ格好いい」という感想を持つかもしれません。わざわざピアノ独奏にして演奏することもあるようですが、パーカッションとエレキギターが入った方が、ババジャニアンの清々しい生きざまの表現としては相応しいように思います。確かに、歌謡曲のような雰囲気があり、クラシック音楽の枠ではくくり切れないところがあります。しかし、単に音楽としてとらえたとき、とても素敵な音楽だということに違いはありません。

その他の曲を少し

『メロディーとユモレスク』は単純で簡潔なピアノ小品です。とてもアルメニア的で、哀愁を帯びた、ババジャニアンを代表する曲だと思います。とても好きな曲です。『ノクターン』と同じ路線の曲としては『Fantasy on <Give Me My Music Back>』があります。とても心地よいメロディーの曲です。少し映画『イル・ポスティーノ』のテーマ音楽に似ているような気がします。

ロシア・ピアニズムの四大教師

ソ連には、音楽史上重要な4人のピアノ教師がいました。

レニングラードのニコラ―エフとモスクワの3人、イグムノフ、ゴリデンヴェイゼル、ゲンリヒ・ネイガウスです。

ババジャニアンはモスクワ音楽院のピアノ科の先生、コンスタンチン・イグムノフの弟子になります。

イグムノフはチャイコフスキーの『四季』などで知られる、音楽史上重要な人物です。特に有名なところではフリエール、オボーリン、グリンベルグ、ボシュニアコーヴィッチなどの弟子を輩出しました。非常にロマンティクでトラディショナルな芸風が特徴です。それはババジャニアンにも見られる特徴で、つまり彼はロシアでもトップクラスのピアニストの一人なのです。

お薦めの演奏

①アルノ・ババジャニアンArno Babadjanyan(ピアノ)自作自演盤

 1980 Russian Compact Disc

自作自演のこのCDが一押しです。

ババジャニアンの粋な演奏が光ります。何も知らずにトラック1をかけると、おそらくとても驚くだろうと思います。それほど『ノクターン』は衝撃的な作品で、ほとんどクラシックの枠を超えています。このCDには現代音楽にカテゴライズされるであろう『6つの絵画』や、『メローディーとユモレスク』というとても美しい、哀愁にみちた小品も含まれています。まさにババジャニアンを堪能できる一枚です。

f:id:shashinchan:20190822010708j:plain

ババジャニアン 自作自演盤

f:id:shashinchan:20190822010734j:plain

ババジャニアン 自作自演盤

まとめ

ババジャニアンを聴いていると、クラシックやポップスなどの括りは何か意味をなすのだろうかと思えてきます。旧ソ連の音楽の幅の広さも感じます。ババジャニアンはクラシック音楽という括りにとらわれることなく、音楽そのものを愛していたのではないかと思います。そして、自分に正直に、すなおに作曲したからこそ、作曲に対するのと同じように誠実な演奏ができるのでしょう。上記のCDでは超一流のピアニストによる、歌謡曲的な一面を持つ、素敵な音楽の演奏を聴くことができます。あまりに開放的で、心のこもった曲と演奏です、好みに合わない人もきっといるでしょう。しかし、私はババジャニアンの無邪気で清々しい生き方も、その曲も演奏も大好きなのです。

 

 

私の好きなクラシック音楽 その5

アレクサンドル・アルチュニアン トランペット協奏曲変イ長調

 アルメニアという国名を聞くとどのようなイメージをもたれるでしょうか?旧ソビエト連邦の一国、コーカサス、歴史上初めてキリスト教を国教とした国、自然の美しい国、そしてアラム・ハチャトリアンを輩出した国といったことを連想されるのではないかと思います。

 

 アラム・ハチャトリアンはクラシック音楽を語るうえで欠くことのできない、極めて重要な作曲家の一人です。『剣の舞』をご存知の方は多いと思います。代表作の一つであるヴァイオリン協奏曲を聴いてみると、その民族性豊かな、個性あふれる音楽に魅了されます。ハチャトリアンの音楽を決定づけているのは、彼個人のもつ個性もありますが、何よりも彼の民族性、つまりアルメニアの民俗音楽なのです。彼と同郷の作曲家たち、例えば、今回取り上げるアルチュニアンや、ババジャニアン、バグダザリアンたち他のアルメニアの作曲家の曲を聴くと、その根底に同じものが流れていることがよく分かります。ある部分でとても似ているのです。

 それは具体的にはメリスマ唱法という、発語の一音に複数の高さの音を含み、揺らぐように奏でられる唱法に影響されたローカルな旋法にあります。知っていると「これはとてもアルメニア的だなあ」とうなることになります。

アルチュニアン トランペット協奏曲変イ長調

 アレクサンドル・アルチュニアン(1920-2012)のトランペット協奏曲も、メリスマ唱法からなるとても旋律的でアルメニア的な音楽です。休みなく続けて演奏されますが、三部で構成される協奏曲で、第一部は、イントロダクションとアレグロ楽章、そしてとても美しい第二部を挟んで、第三部はまたテンポの良い終楽章になっています。1950年に完成した比較的新しい曲ですが、ハイドン、フンメルとともに三大トランペット協奏曲として今やとても重要なトランペットのレパートリーとなっています。この曲の人気の理由は、何よりもトランペットの魅力を余すところなく引き出しているところ、つまり、メリスマ的な旋律、リズムがトランペットと抜群の相性で共鳴していること、そして比較的コンパクト(約14分ほどの演奏時間)であることと、そしてとても単純明快なことだと私は思います。きっと一度聴くと忘れられない曲なので、是非、多くの人に知ってもらいたい曲の一つです。

ソビエト連邦下の民族性

 ソビエト連邦における音楽、もしくは他の芸術を、画一的に上から統制されたものであるとするのは間違いであると私は思います。社会主義リアリズムというものは、どれも同じような画一的なものではなく、前衛的なものから保守的なものまでかなり幅のある、実はその定義が相当にいい加減なものなのです。

 悪名高いジダーノフ批判も、実際には作曲家たちの投票によりその批判の矛先とされる作曲家たちが決められ、プロコフィエフの第6交響曲がその例題にあげられました。

 また、例えば、ソビエト連邦支配下の音楽界のトップに君臨してた赤いベートーヴェンことフレンニコフは単純な美しい曲から、より前衛的な音列技法を用いた曲までを作曲し、規範を指し示しました。

 スターリン言語学が民族の多様性の保存を目的の一つとしたように、アルメニアをはじめ、特徴的にして多様な民族音楽ソビエト体制下で繁栄したことは特筆すべきことです。

 一つ興味深いお話として、アルメニアの音楽にふれておくと、アルメニアンポップスというものがあります。なんとなく演歌を思わせるような哀愁溢れるメロディーが特徴のポピュラー音楽です。アルチュニアンが活躍したアルメニアイスラム革命前のイランとトルコと国境を接しています。つまり、西側諸国のすぐお隣の国なのです。ソビエト連邦当局がいかにそれを拒もうとも、文化の流入を食い止めることは至難の業です。上記に触れたババジャニアンという作曲家は「ノクターン」という、ピアノとエレキギター、パーカッション、オーケストラのための曲を作曲しています。私は好きですが、なんだか歌謡曲のメロディーのようで、それを生真面目に演奏して、観客がとても喜んでいる様子が微笑ましくも感じられます。ババジャニアンにアルメニアンポップスの礎を聴きとることができます。

 つまり、ソビエト連邦では、各地で多くの民族の個性あふれる様々な音楽が花開き、聴かれたわけです。そこが大変、奥深く、そして面白いところです。

お薦めの演奏

①ティモフェイ・ドクシチェルTimofei Dokshitser(トランペット)ゲンナジー・ロジェストヴェンスキー盤 ボリショイ劇場管弦楽団 1968 MARCOPHON

 ティモフェイ・ドクシチチェル(1921‐2005)による演奏。そもそもアルチュニアンがドクシチェルのために書いた曲というわけではなかったのですが、結果的にこの曲はドクシチェルに献呈されました。ソビエト連邦を代表するトランペット奏者の一人で、さすがに凄い演奏です。音色は少し影と潤いがあり美しいです。それが第二部の導入部ではこの上ない美しさを呈しています。他の追随を許さない、定番中の定番でしょう。

f:id:shashinchan:20190715035259j:plain

ドクシチェル ロジェストヴェンスキー盤

f:id:shashinchan:20190715035407j:plain

ドクシチェル ロジェストヴェンスキー盤

②モーリス・アンドレMaurice André(トランペット)モーリス・スーザン盤  

 フランス国立放送フィルハーモニー管弦楽団 1964 ERATO

 言わずと知れたフランスのトランペット奏者、モーリス・アンドレ1933-2012)による演奏。ドクシチェルは手に入りにくいCDですが、こちらは容易に入手可能です。ドクシチェルと異なり、からっとした明るい、突き抜けるようなトランペットで、こちらも情感豊かにこの曲の長所を十分に表現していると思います。お買い得6枚組CDで、モーリス・アンドレを堪能できます。

f:id:shashinchan:20190715035510j:plain

モーリス・アンドレ スーザン盤

f:id:shashinchan:20190715035558j:plain

モーリス・アンドレ スーザン盤


 まとめ

 トランペットという楽器はとても美しい音色を持つ楽器です。ですが、ジャズや吹奏楽と異なり、クラシック音楽では主役として協奏曲のソロを担うということはやや少ないと言えます。しかし、この曲と、その演奏を聴いていると、もっととり上げられて当然の楽器なのではないかと改めて思います。チェコフィルの首席トランペット奏者であったケイマルが吹いていたらどんな演奏だっただろうかと想像してしまいました。 

 そして、やはりアルメニアの音楽はとても面白いです。その層の厚さと特徴的で豊かな民族性はある意味でショパンの国ポーランドにも匹敵するのではないかと思います。ポーランドにいかにパデレフスキやシマノフスキがいようとも、やはりずば抜けて有名なのはショパンであるように、アルメニアにもアルチュニアンやババジャニアンがいようとも、ずば抜けて有名なのはハチャトリアンであることも似ています。両国の音楽に原型として根差しているのは、ショパンであり、ハチャトリアンなのです。そしてその大きな流れの中にアルチュニアンは巨星として輝いています。しかしアルメニアのような小さな国のどこにそのようなエネルギーがあるのでしょうか。旧ソビエト連邦の音楽の奥深さを感じさせます。

私の好きなクラシック音楽 その4

フランシスコ・エスクデロ ピアノとオーケストラのためのバスク協奏曲

スペイン音楽の源流とは

 スペインの音楽と聞くと、どのような音楽を連想するでしょうか?

 フラメンコのような情熱的な民謡、もしくは映画『禁じられた遊び』で用いられた『ロマンス』やロドリーゴの『アランフェス協奏曲』のような哀愁に満ちたギターの名曲を思い浮かべるのではないでしょうか?イスラムによる支配の影響で、少しエキゾチックな香りが加味された魅力的な音楽を好んで聴かれる方も多いのではないかと想像します。

 

  では、スペインの音楽をクラシックという括りでとらえると、今、私たちが想像するような音楽はどのような由来をもっているのでしょうか?

 スペインでおそらく最も尊敬され、愛されている作曲家といえば、『三角帽子』や『恋は魔術師』などで有名なマヌエル・デ・ファリャでしょう。素敵なピアノ小品もいくつも作曲しています。フランスで学び、ドビュッシーラヴェルらと親交を結んで、それら印象派の音楽と、伝統的なスペイン民俗音楽のリズムと、先人であるアルベニスグラナドスなどの音楽を融合し、その後のスペイン音楽の核となるスペイン印象主義を準備した偉大な作曲家です。印象派という形式が、ファリャの音楽表現の手段として、そしてスペインの民俗音楽を表現する手段としてこの上なく適合したのでしょう。あたかもそれが初めから自然とそこにあったかのように、大きなスペイン音楽の潮流を作り出したのです。

フランコ政権下の音楽

 フランコ政権と聞くと、ナチスとの協力関係などから悪い印象を持たれる方が多いと思われます。ですがスペイン音楽を考えるとき、その影響力は無視することはできないのです。

 ファリャはスペイン内乱で親友のガルシア・ロルカを殺されたため、アルゼンチンに亡命します。しかし、ファリャの音楽を心から愛していたフランコ将軍が、何度もファリャを呼び戻そうとしたこと、また紙幣にファリャの肖像を用いたことが知られています。

 そんなフランコの指導の下、ファリャのスペイン印象派の音楽を主軸とし、さらに民族色を前面に押し出したスペイン純粋主義が提唱され推し進められました。特徴としてはフラメンコなどの民謡を用いるなど民族色の濃いものであることや、スぺインの地名やスペイン独特の特徴ある名称(セレナータなど)が曲名に用いられたことなどが挙げられます。

 今回とりあげるエスクデロはスペイン純粋主義の作曲家の一人で『ピアノとオーケストラのためバスク協奏曲』は自らの出身地の名を冠した作品ということになります。

ピアノとオーケストラのためのバスク協奏曲

 フランシスコ・エスクデロFrancisco Escudero(1912-2002)はバスク地方出身のスペインの作曲家です。フランコ政権のもとで、いわゆる体制派の音楽家として活躍しました。

 彼の作品の中で最も有名で、私が気に入っているのは『ピアノとオーケストラのためのバスク協奏曲』です。

 スペイン純粋主義の特徴を色濃くもつ、いかにもスペイン的な曲で、同じくスペイン純粋主義音楽の代表格である『アランフェス協奏曲』にも通じるところがあると思います。例えば『アランフェス協奏曲』は第1楽章、第3楽章がフラメンコ、第2楽章がスペインの演歌ともいうべきコプラで構成されています。『ピアノとオーケストラのためのバスク協奏曲』の、少し哀しげでこの上なく美しい第2楽章もやはりコプラで、とりわけその第1主題はその特徴を顕著に表しています。この楽章の最後には5回、鐘の音が響くのですが、これはこの曲が挽歌という性格をもっているということなのでしょうか?

私の近頃のお気に入りの曲で、できるだけ多くの人にこの曲の良さを味わっていただきたいと強く思います。

お薦めの演奏

マルティン・イマズMartin Imaz(ピアノ)アタウルフォ・アルヘンタ盤

 1951 SCRIBENDUM 

 スペインの誇る名指揮者、アルヘンタによる指揮をベースにマルティン・イマズさんがピアノを弾いています。このピアニストに関して詳細が分からないのですが、存在感のあるとても良い演奏で、デル・プエロやソリアーノといった名ピアニストを多数輩出しているスペインのピアニストの層の厚さを感じます。ちなみに、当時19歳だったイエペスを起用して『アランフェス協奏曲』を演奏し、イエペスの名を一躍有名にならしめたのもアルヘンタです。プレイボーイとしても知られた彼ですが、事故による早すぎる死が悔やまれます。

 このCDは最近発売されたもので、22枚組にアルヘンタの魅力がぎっしり詰まった素晴らしいものになっています。『ピアノとオーケストラのためのバスク協奏曲』は是非、この演奏で聴いていただきたいものです。

f:id:shashinchan:20190611012828j:plain

イマズ アルヘンタ盤

f:id:shashinchan:20190611012904j:plain

イマズ アルヘンタ盤

まとめ

 「体制派の音楽」は大抵、批判され評価されにくい傾向があると感じています。しかし私は、体制とはあくまで一つの枠組みだととらえています。たとえそれが独裁政権下の人々であっても、そこを舞台としてそれぞれの、かけがえのない一つの人生をおくります。そこには間違いも、悩みも、喜びもあることでしょう。『ピアノとオーケストラのためのバスク協奏曲』、第2楽章の終わりの5回の鐘の音は、そんな人の一人であるエスクデロの心情の告白でもあるのかもしれません。鐘の音は死者への追悼を表すものです。音楽は時代を映し出す鏡のようなものでもあります。いずれにせよ、まず先入観をもたずに聴いてみて、そして調べてみて自分で判断すること、それが大切なのではないかという気がします。この曲が何度も繰り返して聴いてしまうような、そんな美しい曲であることに違いはないのですから。

 

 

私の好きなクラシック音楽 その3

アーネスト・ジョン・モーラン  チェロとピアノのための前奏曲

「あなたのためにチェロ協奏曲を書いてもいいですか?許してくださるのでしたら、わたしの全てをかけて作曲します」

 1945年、51歳のモーランは40歳だった女流チェリスト、ピアーズ・コートモアにこのような手紙を送りました。

 はたして二人は結婚するのですが、幸せな時間はそう長くは続かず、桟橋から落下してモーランが死んでしまうまでほんの5年足らずの短い間でした。

 しかし、少なくともモーランにとってはこの束の間の時間が、彼の波乱万丈の人生のなかで、もっとも幸せで充実していたのだと私は考えています。

 

 アーネスト・ジョン・モーラン E.J.Moeran(1894-1950)はディーリアスやヴォーン=ウィリアムスなどに代表されるイギリス田園主義にカテゴライズされる作曲家です。スタンフォード、後にアイアランドに学びましたが、私はこの3人の作曲家が大好きです。ブラームスと親しかったスタンフォード、そしてイギリス印象主義に分類されてはいますが、それだけでは語ることのできないアイアランドに関してはまた後日、別の記事でとり上げたいと思います。

 

 モーランの生涯はまさに波乱万丈なものだったと言ってよいでしょう。

 スタンフォードのもとで学んでいたモーランは、第一次世界大戦に従軍して頭部に大けがを負ってしまいます。これが、後の精神疾患のもとになったとされています。帰国後、アイアランドのもとで学びますが、王立音楽院を卒業後、その類まれなる才能にもかかわらず、アルコール依存と精神疾患のためか、あまり評判の良くない仲間たちと放蕩な生活を送り続けます。それは極めて長期にわたるものでした。

 

 イギリスの交響曲を代表する曲の一つである高名な『交響曲ト短調』(1924-37)、『シンフォニエッタ』(1944)はモーランを代表する大曲でしょう。

 一方でモーランは、アイアランドから引き継ぐような形で、たくさんの抒情的で詩的な美しい小品を作曲しています。たとえばピアノ小品『アイリッシュ・ラブソング』のような。その背景には、故郷の酒場で収集したイギリス民謡の影響があると思われます。

チェロとピアノのための前奏曲

 1945年のチェリスト、ピアーズ・コートモアとの結婚はまた、モーランの代表作に数えられる『チェロ協奏曲』と『チェロ・ソナタイ短調』という傑作を生みだします。モーランにとってチェロは彼女の存在なしには考えられない楽器だったでしょう。そして結婚の前年1944年に作曲されたのが『チェロとピアノのための前奏曲』です。ピアーズのためにモーランが初めて作曲したチェロの曲で、非常に規模の小さい、単純な曲ですが、それはモーランの彼女への愛情と、彼の抒情的な小品群にみられるような詩情豊かな美しさとに満ち溢れています。

イギリス音楽普及の立役者 サー・エードリアン・ボールト

 イギリスを代表する指揮者とは誰でしょうか?ビーチャム?バルビローリ?最近ではラトル?

 私にとっては、圧倒的にサー・エードリアン・ボールト(1889-1983)です。ボールトはEMIでの数々の名曲の録音が知られていますが、その傍ら、リリタ(Lyrita)という小さなレーベル(素敵なレーベルです)で、非常に多くのイギリスものの録音を行っています。それらは非常にレベルの高い演奏で同時代の作曲家たちを強力にバックアップしたと思われます。その恩恵をモーランももちろん、受けているのです。

お薦めの演奏

①ピアーズ・コートモアPeers Coetmore(チェロ)エリック・パーキン(ピアノ)盤

 1972年  Lyrita

  モーランの妻にしてこの作品を献呈されたチェリスト、ピアーズ・コートモア自身による演奏。この演奏を聴く限り、ピアーズ・コートモアさんはこの曲を弾き込んでいたのではないか、決して閉まっていた引き出しからこの時だけ取り出したような演奏ではないと私には思われました。このCDのメインはチェロ協奏曲で、こちらはモーランの没後20周年を記念してボールトがロンドンフィルを振ったものです。モーランとその人間関係を知ることのできる貴重なCDだと思います。

 

f:id:shashinchan:20190602062455j:plain

コートモア パーキン盤

f:id:shashinchan:20190602062530j:plain

コートモア パーキン盤


まとめ

 モーランの死後、ピアーズは再婚してオーストラリアで後進の育成に努めます。モーランの死後すぐに再婚したためもあってか、モーランとピアーズとの結婚を必ずしも幸せなものではなかったとされることがありますが、私は長きにわたりアルコール依存や精神疾患に苦しんできたモーランが、人生の最後に掴んだ束の間の、安らかで幸せな生活だったのではないかと想像します。それは、上記に紹介しましたCDのジャケットの写真、イギリス的な荒涼とした大地を幸せそうに寄り添い歩く二人の姿を見れば明らかだと私には思われるのです。