音楽のように

ヒストリカルクラシックのブログ

私の好きなクラシック音楽 その11

レイフ・ヴォーン・ウィリアムズ 『揚げ雲雀』

イギリス田園主義の作曲家

 ヴォーン・ウィリアムズVaughan Williams1872-1958)はイギリス田園主義を代表する作曲家の一人です。裕福で教養のある家系に生まれた彼は王立音楽院に進学してスタンフォードの下で作曲を学びました。以前とりあげたスタンフォードの弟子ということになります。遅咲きだった彼ですが、9つの交響曲と、協奏曲、管弦楽曲吹奏楽曲などに、多くの傑作を残しています。

 ヴォーン・ウィリアムズの大きな功績のひとつは、民謡などイギリスの日常生活に根差した音楽の採集と保存でした。『グリーンスリーヴスによる幻想曲』はその成果の一つとして生まれたものです。

 当時、イギリスでは民謡を五線譜に移す作業が進んでいました。しかし、本来、民謡には長調短調も、小節も存在しません。ヴォーン・ウィリアムズは、口承による伝承が廃れてしまうことを危惧し、自らそれらを採集、保存したのでした。

 ではイギリス田園主義とはどのようなものなのでしょうか?

 ご存知の通り、イギリスは産業革命発祥の地。環境汚染や、そこまでいかなくとも、景観の破壊など、自然にかかわるいろいろな問題が生じました。それを背景に、イギリス田園主義音楽が生まれます。工業化、都市化へのアンチテーゼとして、地方の田舎を起点としたイギリス田園主義では、それに先駆けて、他国でヤナーチェクなどの民族主義音楽のような流れができる中、先進国ならではのもの、失われた、失われつつある自然への憧憬のようなものから、ある種、理想化された自然が題材になっています。ヴォーン・ウィリアムズはその流れを代表する作曲家の一人でした。そういう意味からも、イギリス田園主義音楽は理想主義、空想的社会主義などとも結びつきやすく、ヴォーン・ウィリアムズにもその傾向がみられます。

『揚げ雲雀』“The Lark Ascending”

 ヴォーン・ウィリアムズの作品の中でも人気のある曲です。ヴァイオリンとオーケストラのためのロマンス、『揚げ雲雀』は、そのピアノ伴奏版が1914年に作曲されました。ヴォーン・ウィリアムズはこの年、第一次世界大戦に従軍したため、オーケストラ版は大戦後に完成し、1921年、サー・エードリアン・ボールトの指揮により初演されています。文明のもたらす極限の状態である戦争を背景にこのような田園主義の音楽ができたのは象徴的なことに思われます。

 揚げ雲雀は、春、ヒバリが空高く舞い上がりさえずる様子をあらわす表現です。春の訪れを示す季語でもあります。ヴォーン・ウィリアムズは同国の作家であるジョージ・メレディスの詩『揚げ雲雀』に触発されてこの曲を書きました。ヴァイオリンとオーケストラのためのロマンスという副題がついているように、この曲はヴァイオリン協奏曲のような性格をもっています。しかし、ヴァイオリン独奏はヴィルティオーゾ的な活躍を見せるのではありません。つつましやかなソロの感じがとても心地よく、オーケストラが周囲の自然を、そしてヴァイオリンが自然のなかを舞い上がる一羽のヒバリを表現しているように感じられます。

 15分強ほどの曲ですが、この曲を聴いていると、自分がヒバリになって英国のなだらかな丘陵や、切り立った岸壁の、その上にひろがる高い空を飛翔していくような、そんな感覚をおぼえます。初めてこの曲を聴く人も、この曲のタイトルを知ると「ああ、なるほど」と納得するような、そんな曲ではないでしょうか。

お勧めの演奏

①サー・エードリアン・ボールトSir Adrian Boult指揮 ニューフィルハーモニア管弦楽団 盤 1967 WARNER CLASSICS

 イギリス音楽界の重鎮にして、立役者、サー・エードリアン・ボールト(1889-1983)の演奏です。この『揚げ雲雀』の初演も、ボールトが行っています。さすがボールトと思わせるような、男性的な演奏です。水の流れるような、きわめて自然な音楽作りです。

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ボールト ニューフィルハーモニア管 盤

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ボールト ニューフィルハーモニア管 盤

②ヴァーノン・ハンドリーVernon Handley指揮 ロンドンフィルハーモニー管弦楽団 盤 1985 WARNER CLASSICS

 ボールトの後継者のようなハンドリー(1930-2008)が、古式ゆたかなオーケストラ、ロンドンフィルを指揮した演奏。田園的な落ち着いた演奏ですが、たっぷりとした歌に満ちています。しかししまっていて男性的です。まるで野を流れる清流のように、作為的なところのない、素晴らしい硬派な演奏です。

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ハンドリー ロンドンフィル 盤

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ハンドリー ロンドンフィル 盤

③ブライデン・トムソンBryden Thomson指揮 ロンドン交響楽団 盤 1987 Chandos

 ボールト、ハンドリーが同じ傾向の演奏であるのに対して、ヴォーン・ウィリアムズの民謡性のなかのケルト的な要素、悠久の時間や、自然の風土、フィヨルドを想起させるような、彫りのふかい演奏です。ひろがりがあり、深々としています。トムソン(1928-1991)の指揮活動の場は、どちらかというと英国の中心地ではなく、ケルト的な地方を主な舞台としていました。才能あふれる彼でしたが、アルコール依存症で、63歳の若さで亡くなってしまったことが悔やまれます。是非、一度、聴いていただきたい、お気に入りの演奏です。

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トムソン ロンドン響 盤

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トムソン ロンドン響 盤

まとめ

 ヴォーン・ウィリアムズは平和と平等を愛した、理想主義的なところのある人物でした。ロンドンにあふれる浮浪者を描写している部分のある曲(交響曲2番)や、戦争の悲惨さを表現した戦争交響曲交響曲456番)など、社会性のある曲を多く作曲しています。ですが、なぜでしょうか、悲惨な状況を描写する部分がありながらも、ヴォーン・ウィリアムズの作品の多くには、優しさ、美しさが溢れているのです。それはヴォーン・ウィリアムズが、社会の暗部を描写しながら、平和で平等な、美しい世界への憧憬を持ち続けたからではないでしょうか。『揚げ雲雀』も同様に憧れにみちた作品です。彼の人柄、スタンスを象徴する一つの出来事に、著作権敵国条項を望まず、放棄したというエピソードがあります。ヴォーン・ウィリアムズの曲を聴いていると、音楽は偽らないものだと感じます。彼の音楽の美しさは、理想に燃える彼の行動や姿勢を、互いに裏付け、響きあうことで成り立っているのです。

 

私の好きなクラシック音楽 その10

チャイコフスキー 交響曲6ロ短調 作品74『悲愴』

ロシアの生んだ天才作曲家

 ロシアで最も尊敬されている作曲家といえば、グリンカだそうですが、世界的に最も愛されているロシアの作曲家はピョートル・イリイチ・チャイコフスキーPeter Ilyich Tchaikovsky 1840-1893)だと思われます。

 三大バレー『白鳥の湖』『眠れる森の美女』『くるみ割り人形』はとても有名ですし、その他にも、『四季』に代表されるピアノ曲、『エフゲニー・オネーギン』に代表されるオペラ、その他、協奏曲や室内楽の数々、そして忘れてはならないのが文学性豊かな歌曲の数々、そして『悲愴』に代表される交響曲など、ほぼすべての分野で傑作を残しています。

 チャイコフスキーと言えば、同性愛者であったことや、自殺で亡くなったと言われていたこと、そして、作曲においてスランプに苦しんだことなど、やや暗いイメージもある作曲家です。『白鳥の湖』などは、単に美しいというだけでなく、凄みや恐ろしさまで感じさせる曲なので、そのイメージを強めているかもしれません。

 作曲に苦しんだチャイコフスキーですが、それも才能の裏返しのようなところがありました。極めて優れた曲を作曲できたから、苦しんだのです。作曲家としてのスタートが遅かったチャイコフスキー37歳の時、『白鳥の湖』を作曲しました。作品番号は20で、比較的若い番号です。作品そのものは周知のように素晴らしいものですし、チャイコフスキーも自信があったのですが、上演のまずさもあり、世間に受け入れられませんでした。このようなことが重なったのも生みの苦しみを助長したのかもしれません。

チャイコフスキーブラームス

 そんなチャイコフスキーと好敵手の関係にあった作曲家がドイツにいました。少し年上になりますが、ブラームスです。その才能はまさに肉薄したものでした。

 この二人に関しては、主にその違いについて、いろいろなところで述べられてきました。

 チャイコフスキーが時にスランプに苦しみながら作品をつくる作曲家であり、ブラームスがこつこつと着実に名曲を作曲していくような作曲家であった点。両者のヴァイオリン協奏曲を比較すると、チャイコフスキーがメロディーを中心としたものであり、ブラームスが内声部を重視したものであること(チャイコフスキーブラームスのヴァイオリン協奏曲のことを「台座だけの彫像」と表現しました)そしてチャイコフスキーがオペラに傑作を残したのに対してブラームスはオペラを作らなかった点、などなど。

 しかし、実はこの二人、深いところでとても重要な共通点があると私には思われてなりません。そのことは両者の誕生日(57日)が同じであることが象徴しているようです。まず、二人が音楽史上、まれにみる天才で、ともに素晴らしいメロディーメーカーであった点。また両者共にシューマン譲りの文学性の高さを感じさせる素晴らしい歌曲を残しています(チャイコフスキーのものでは『舞踏会の喧騒の中で』や『ただ憧れを知る者のみが』など)この二つの共通点は、細部の特徴ではなく、大きくとらえたものですが、実はとても重要な要素です。ですから、それ故に、二人はお互いに認め合っていたのです。

 チャイコフスキーグリーグについて述べるとき、このように発言したといいます。

 「あのブラームスほどの才能はないが、素晴らしい作曲家です」

 また、チャイコフスキーの第5交響曲の演奏会後、二人は会食してこのような会話をしました。

 ブラームス:「第3楽章までは素晴らしかったね」

 チャイコフスキー:「私もそう思います」

交響曲6ロ短調 作品74『悲愴』

 チャイコフスキーが人生の最後に作曲したのが交響曲6番『悲愴』です。4つの楽章からなるこの交響曲に非常に特徴的なのは、緩徐楽章が終楽章に置かれていることです。先に述べました第5交響曲で第4楽章、つまり終楽章があまり良くなかったかのようなブラームスの発言でしたが、これは「フィナーレ問題」というものです。それまでの楽章の音楽とつながりが不自然になってしまったりなど、最終楽章で上手にまとめることの難しさを表す言葉ですが、この第6交響曲『悲愴』はそのフィナーレ問題を克服したと言われています(私は第5交響曲のフィナーレは素晴らしいと思いますが)本来、第2楽章もしくは第3楽章に置かれることの多い緩徐楽章を、最終楽章に持ってきて、第1楽章から第3楽章までがそこに向かって準備されているいることがよくわかる構成となっているのです。

 まさに、クライマックスのこの第4楽章が聴きどころです。アダージョとしては異例なほど激しく、密度感のある、怖いくらいの美しい楽章です。この曲を聴いていると、チャイコフスキーがメロディーのみに優れた作曲家であるのではなく、内容も充実した、素晴らしい構成力の作曲家であることが分かります。もしこの交響曲が作曲されていなかったら、交響曲の歴史はとても寂しいものになっていたことでしょう。そのくらいの傑作であり、交響曲における金字塔であると私には思われます。

お勧めの演奏

①エフゲニー・ムラビンスキーEvgeny Aleksandrovich Mravinsky指揮  レニングラードフィルハーモニー交響楽団 盤 1960 Deutsche Grammophon 

 まさに、ザ・悲愴という演奏です。ムラビンスキー(1903-1988)が尊敬したドイツの指揮者アーベントロートの『悲愴』に大きな影響を受けていることが分かります。スケールの大きさ、激しさ、美しさ、そして凄み、どれをとっても一流で、磨き抜かれています。極めて有名な演奏で、私が一番初めにはまった『悲愴』です。お国ものでもありますし、本物のかおりのするお勧めの演奏です。入手もとてもしやすいです。チャイコフスキーはおそらくこのような演奏を想定していたのではないかと思わせます。

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ムラビンスキー レニングラードフィル盤

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ムラビンスキー レニングラードフィル盤

 

ロヴロ・フォン・マタチッチLovro von Matačić 指揮 NHK交響楽団 盤 1967 NHK CD

 ウィーンで教育を受けて、ドイツものを得意とするマタチッチ(1899-1985)ですが、クロアチアの貴族であり、スラヴの血がそうさせるのでしょうか、チャイコフスキーも素晴らしい演奏が残っています。また、マタチッチは初めてN響の音を聴いた時、「なんていい音なんだ」と、一目ぼれをしたといいます。マタチッチは優れた指揮者ですから、どこのオーケストラを振っても素晴らしいのですが、私はN響との共演が一番好きです。N響はマタチッチの最高の楽器だったのではないかと思います。指揮者とオーケストラの全団員が同じ方向を向いており、それはクオリティー、スケールにおいてはムラビンスキー、レニングラード・フィルに匹敵するもので、それに加えて、細やかで温かい独特の歌にあふれたものになっています。とりわけ、60年代から75年までの共演に優れたものが多く、75年の第5交響曲のライブ録音も強くお勧めしたい演奏です。

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マタチッチ N響 盤

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マタチッチ N響 盤

③アルヴィド・ヤンソンスArvīds Jansons 指揮 ドレスデン・シュターツカペレ 盤 1971 WEITBLICK

 このころのドレスデンスターツカペレは現代風とは違う、古式豊かな、素晴らしいオーケストラです。そんなオーケストラと、東京交響楽団との縁の深いアルヴィド・ヤンソンス(1914-1984)との共演です。第四楽章冒頭の暗さは深く、非常に激しいところもある演奏で、アルヴィド・ヤンソンスの悲しみの深さのようなものすら感じさせる演奏です。レニングラード・フィルでムラビンスキーの下、副指揮者をつとめていた彼ですが、ムラビンスキーと全く違う演奏であるところも素敵です。

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ヤンソンス ドレスデン・シュターツカペレ盤

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ヤンソンス ドレスデン・シュターツカペレ盤


アルヴィド・ヤンソンスの悲しみ

 『悲愴』という交響曲は、たくさんの良演に恵まれた作品です。非常に多くの指揮者、オーケストラがとりあげていることから、この曲がいかに素晴らしいかがうかがい知れます。このブログで初めて日本のオーケストラをとりあげましたが、N響とマタチッチの演奏も素晴らしいものです。実は過去、もったいないほど優れた指揮者がたくさん来日し、日本のオーケストラと素晴らしい関係を築いていました。カイルベルトサヴァリッシュスウィトナー、コシュラーなどなど、枚挙にいとまがありません。

 そのなかでもアルヴィド・ヤンソンスと東京交響楽団との関係は涙なしには語れないものです。東響の経営危機に際して、団長の橋本氏が友人であるレニングラード・フィルの副指揮者アルヴィド・ヤンソンスへ電報を打ちます。「予定の公演の件ですが、公演料をお支払いすることができなくなったのです…」アルヴィド・ヤンソンスは公演料の心配はない旨の電報を打ち、直ちに単身、船で横浜へ向かいます。ウラジオストックで再び、東響のために尽くすため、すぐに横浜に到着する旨の電報を打ちますが、橋本氏は電報を受け取っておらず、アルヴィド・ヤンソンスが港に着く4時間前に自ら命を絶っていたのです。それを知ったアルヴィド・ヤンソンスはその場に泣き崩れたと言います。

 アルヴィド・ヤンソンスの来日の少し前に東響は解散して、橋本団長はその責任を感じていたのでした。そして橋本団長との約束を守りアルヴィド・ヤンソンスは東響の再建と発展に労を惜しまなかったのです。彼の『悲愴』を聴いていると、その一件のことが頭に浮かんできます。港で橋本団長の姿を探すアルヴィド・ヤンソンスの姿が見えてくるのです。 

まとめ

 人は皆それぞれの悲しみをもっているのではないかと思います。チャイコフスキーの『悲愴』を演奏するとき、その演奏者の悲しみの深さが表現され、聴く者の心の琴線に触れるのではないでしょうか。お勧めに挙げ切れなかった演奏にも、たくさんの素晴らしい『悲愴』がありますが、それらはみな、悲しみを知る人の演奏だと感じます。それにしても、チャイコフスキーはなんという曲を作ってしまったのでしょうか。そう思わずにはいられません。それは音楽史上の奇跡であり、様々な苦難も経験したチャイコフスキーにしかなしえなかったことです。『悲愴』は苦難の末にできた果実ですが、私には、創造、そして希望を象徴する作品でもあると思われるのです。

 

(参考サイト)『海外オーケストラ来日公演記録抄』(本館)

       より ヤンソンスと橋本東響団長(1964)(昭和三十九年)

       http://www003.upp.so-net.ne.jp/orch/page223.html        

      素敵なホームページで参考にさせていただいています。

      いつもありがとうございます。

 

私とオーディオ その2

アンプの修理

 2月半ば、我が家のメインシステムのアンプにトラブルが発生して、修理をすることになりました。CDなどライン入力は問題なく鳴るのですが、レコードを再生するためのフォノ入力が鳴らなかったのです。重量30㎏のアンプ(DENON PMA-SX1)なので、出張修理をお願いしたのですが、来てくださった修理の方の判断で、持ち帰っての修理になりました。

 そして先日、ほぼ一月半ぶりに、しっかりと直って戻ってきました。時間がかかったのは、メーカーでもまだ遭遇したことない不具合だったからで、何人も集まって、何度もテストをして、直してくださったそうです。修理明細書にはたくさんの部品を交換したことが書かれていました。大変、丁寧に修理してくださったことが分かりました。

 

 今回の修理で担当してくださったのはベテランの技師の方でした。LPレコード(ナタン・ミルシュテインとアルチュール・バルサムのベートーヴェン『春』とベルナール・ミシュランのチェロの小曲を数曲)をかけて、少しお話をしました。長年、オーディオに携わって来られた方なので、たくさんのオーディオ機器を聴いてこられて、また、知識も深く広くおもちで、いろいろ興味深いお話をきかせていただきました。

 我が家のアンプは、パワーアンプに、入力切り替えのためのセレクターと音量調節のためのヴォリュームがついただけのシンプルなもので、テスト用のスピーカーでもとても良い音がしたとお墨付きを頂きました。また、スピーカーのタンノイは、家庭にはちょうど良い大きさで、また同軸ユニットのため、低音から高音まで同じところから音が出て気持ちがよいとおっしゃってくださいました。

 ただ、レコードに関しては、もう少し良いカートリッジを使ってあげてください、とのことでした。 ふだん、聴くのがほとんどCDの私たちなので、レコードのカートリッジはMM型を使っていました。カートリッジというのは、アームの先のレコード針がついているところのパーツのことです。たいていのレコードプレーヤーはこのパーツを交換できるようになっています。

 カートリッジには大きく分けてMM型とMC型の2つの形式があり、MC型の方が再生周波数が広く、細かい音が出て、その再生音はハイレゾだということができます。現代のデジタルオーディオでもハイレゾの再生が流行していますが、これは、デジタルをいかにアナログに近づけるかということが基本になっています。

 私たちはクラシックを聴くので、MC型の方が適しているのですが、近年、カートリッジをつくることのできる職人さんが減っており、MC型カートリッジはとても高価なものになってきています。ほとんどコイルを巻くというだけの作業なのですが、それには職人の技がいるそうです。

 「車に積んでいるけど、聴いてみる?」と技師の方がおっしゃってくださり、DL-103という、NHKで使われていることで有名なMC型カートリッジを持ってきてくださいました。そして、今ついているMM型カートリッジとシェルごと交換してくださり、いよいよ音出しです。

 すると、やはり出てくる音の細かさが違います。バイオリンの弦のかすれる音が聴こえてきました。ただ、今使っているMM型カートリッジも、元気なところや聴きやすいところなど、長所もあると思いました。所有するMM型カートリッジと103とは価格的には10倍以上も異なり、おいそれと手を出せるものではありません。ですからMC型の103を聴くことができたのは貴重な体験でした。ただ、この103も以前は1/3程度の定価だったので、技師の方も「もう少し安ければなあ」とおっしゃっていました。

素敵なお土産

 他にもたくさんお話を伺いました、奈良や小豆島など、いろいろなところへお仕事で出かけられるそうで、楽しいとおっしゃっていました。手先の器用な方で、木彫りも趣味とされていて、鹿や小鳥など、つくられたものをいくつか見せてくださいました。そして、別れ際に、なんと木彫りのカワセミを記念にとプレゼントしてくださいました。美しい、とても素敵なカワセミです。丁寧な修理をほどこされてアンプが返ってきたこと、そして美しいカワセミを我が家に迎えたこと。この二つのことで、今回のアンプの故障は、かえってよかったのではないかと思いました。ちなみに、保証期間内だったので、修理代金は無料でした。

 担当してくださった技師の方、メーカーの方、この度はありがとうございました。これでまた最高の音で音楽を楽しむことができます。いずれオーディオアンプについても記事を書こうと思っています。

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スピーカーの上のカワセミ

 

私の好きなクラシック音楽 その9

レオシュ・ヤナーチェク 弦楽のための組曲 

ヤナーチェクの音楽

  『シンフォニエッタ』『ないしょの手紙』『利口な女狐の物語』など、数々の名曲を作曲し、その名を音楽史に刻んだのはレオシュ・ヤナーチェクLeoš Janáček1854-1928)です。現在もチェコに含まれるモラヴィアの出身で、ときにモラヴィアの民族色豊かな民謡を題材に作曲し、人々の話す言葉の抑揚をもとに旋律をつくり(発話旋律)、また動物の鳴き声など自然の音から音楽を作り出しました。音楽の題材の採集の方法は、実際に自分の脚をつかって地方を取材するというもので、これは民族音楽の採集、そしてそれによる音楽の刷新という二点において、後年のバルトークを先取りしたものと言えるでしょう。

 チェコの音楽というと、まず思いつくのは、『モルダウ』のスメタナと、『新世界より』のドボルザークではないかと思います。もちろん、ヤナーチェクも十分に有名なのですが、どうしても先の2人がまず思い出されるのではないでしょうか。

 ちなみにチェコ音楽の父とされるスメタナチェコ語の話者ではありませんでした。プラハはご存知の通り、ウィーンよりも西に在り、神聖ローマ帝国の時代よりドイツ語圏の重要な一大文化圏でした。そんな中で、チェコ語を話す、チェコの作曲家の先駆けがドボルザークでした。そんなドボルザークと、モラヴィア語を話すヤナーチェクは、親友でした。時には話をしながら過ごし、時には黙って時間を共有するような、そんな間柄でした。ヤナーチェクは優れた指揮者でもあり、ドボルザークの曲を数多く取り上げていました。

 ドボルザークヤナーチェクはともに独特の民族性豊かな音楽を作曲しましたが、ドボルザークブラームスの下で学び、西ヨーロッパの影響を色濃く受けた伝統的な作風でもありました。一方、ヤナ―チェクは、原スラブともいえるような、スラブ的な音楽を追求した、そして時に理解され難いほど新しい音楽を作曲する、全く異なるタイプの作曲家でした。そんな二人が親友であったのは、お互いに無いものを認め合っていたからでしょう。二人の友情と関係を私は素晴らしいものに感じますし、またこの関係がなければ、切磋琢磨してお互いが名曲の数々を作り上げることはできなかっただろうと思います。 

 弦楽のための組曲

  『弦楽のための牧歌』と対をなすこの曲ですが、ドボルザークの『弦楽セレナーデ』に当たる曲だと思ってくださればよいと思います。6曲からなるこの曲は、ヤナーチェクの初期作品の一つです。私はとりわけ第5曲のアダージョが好きです。第4曲のスケルツオ楽章が終わると、低弦の合奏が動き始め、その上に、言葉に尽くせないような美しく優しいメロディーが重なっていきます。効果的な第5曲目のアダージョです。そして最終曲の第6曲がドラマチックに展開して全曲を終えるのです。わずか20分程度の短い曲ですが、この曲にはヤナーチェックの魅力が詰まっています。とりわけロマンティックな一面が。ヤナーチェクの他の曲を取っ付き難いと考えている方にも、是非、先入見なしに聴いていただきたい一曲です。 

その他の曲を少し:シンフォニエッタ

 代表作『シンフォニエッタ』はタイトル通りであれば、小規模な交響曲(シンフォニー)ですが、なかなか堂々たるものです。この作品の各楽章には表題がつけられています。最終楽章の表題「市役所」というのはモラヴィアの州都ブルノの市役所のことです。この市役所の天井にはワニの剥製が吊り下げられているのですが、これは昔、ヨーロッパにワニが珍しく(基本的にはいないけれども、ワニは行動範囲がとても広く、海を渡ることさえあります)、ワニをドラゴンと間違えて退治したというお話に基づきます。そんな市役所が曲のクライマックスの部分を占めているのです。ヤナーチェクの独特のセンスと、少しお茶目なところが大好きです。

カミラの存在

  弦楽四重奏曲2番『ないしょの手紙』もとても有名な曲です。英語表記ですと副題は intimate letters となり、複数形ですから「ないしょの」というのは手紙の内容ではなく、数々の手紙のやりとりという、その関係性のことを指しての意訳と思われます。この700通に及ぶ手紙のやり取りは、40才年下の人妻カミラとのものでした。シンフォニエッタも彼女から霊感を受けて書かれたと言われています。ヤナーチェクはカミラの息子が森に迷い込んだと勘違いして森に入り、それがもとで肺炎を患い、亡くなっています。良くも悪くも、ヤナ―チェクに大きな影響を与えた人物であり、またヤナーチェクにとってなくてはならない女性であったようです。

『弦楽のための組曲』のお勧めの演奏 

①ズデニェク・コシュラーZdeněk Košler 指揮 スロバキアフィルハーモニック管弦楽団 盤   

 BRILIANT CLASSICS

 ノイマンの下でチェコフィルの副指揮者をつとめたズデニェク・コシュラー(1928-1995)がスロバキアフィルをふった名演奏。日本でもとても人気の高かったコシュラーですが、なぜかポストには恵まれず、それ故に、スロバキアフィルやプラハ響との関係も良好で、素晴らしい共演が残っているのは、マニアにはかえって喜ばしいことです。ノイマンと比較すると、人懐こさも感じるような、軽やかさもある演奏をする指揮者ですが、プロコフィエフ交響曲6番、7番は一度聴くと忘れられない名演で、この指揮者の実力の高さを示しています。そして、このヤナーチェクの『弦楽のための組曲』は、冒頭から、ちょっと無いくらい美しいく、終始聴き惚れてしまいます。まず、聴いていただきたい演奏です。

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コシュラー スロバキアフィル盤

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コシュラー スロバキアフィル盤

フランティシェク・イーレクFrantišek Jílek指揮 ブルノフィルハーモニー管弦楽団 盤

 1991 SUPRAPHON

 モラヴィア出身のフランティシェク・イーレク(1913-1993)はブルノフィルハーモニー管弦楽団の首席指揮者として長く楽団を率いました。モラヴィア、ブルノはヤナーチェクのホームグランドですから、当然のことながら、その演奏は、ヤナーチェクへの尊敬と、楽曲への愛情にあふれたものです。チェコフィルほどの凄さは感じないかもしれませんが、木の香りがするようで、素朴でありながら、ヤナーチェクの魅力を余すところなく引き出した、素晴らしい演奏です。

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イーレク ブルノフィル盤

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イーレク ブルノフィル盤

まとめ 

 ヤナーチェクという存在は、今後も続いていく音楽史の中で、褪せることなく輝き続けていくことでしょう。当時、あまり顧みられることのなかった自国の音楽を愛し、自然から霊感を受けて名曲を作曲しました。そういう意味では、今日ではバルトークの評価がとても高いです。私もバルトークは大好きです。しかし、その先駆けたるヤナーチェクはさらに魅力的です。ヤナーチェクはまた、後進のために、故郷、モラヴィアのブルノに音楽学校をつくります。ブルノ音楽院、現ヤナーチェク音楽院の前身です。プラハ音楽院と並ぶほどになったこの音楽院から、多くのモラヴィア出身の音楽家たちが世界に羽ばたいていくのでした。

 文化の中心にではなく、周辺に身を置くことは大変な苦労を伴うことであるかもしれません。しかし、そこから生まれるものはオリジナリティー溢れる、今まで見聞きしたことのないような、魅力的で価値のあるものである可能性を秘めています。そんな周辺の文化へと耳を傾けてみませんか?新しい世界がひらけるかもしれません。

 

私の好きなクラシック音楽 その8

スタンフォード 交響曲第6番 変ホ長調 作品94

忘れられていた作曲家 スタンフォード 

 サー・チャールズ・ヴィリアーズ・スタンフォードSir Charls Villiers Stanford(1852-1924)という作曲家・指揮者・教師がいました。北アイルランド出身のこの人物は、ブラームスの熱心な支持者であったほか、非常に優れた教師として知られています。弟子にはホルストヴォーン・ウィリアムズ、アイアランド、ブリッジ、ブリスなど、英国の誇る名だたる作曲家が名を連ねます。

 しかし、実際には作曲家としても非常に優れていて、私はもっと再評価されてよいと思っています。

 スタンフォードが活躍した同時代の作曲家には、エルガーとパリーがおり、この二人と並んで、イギリス音楽の礎を確固たるものにした立役者でもあります。

 彼の作品は多岐にわたり、エルガーが作曲しなかったピアノ協奏曲の分野ではとりわけ優れた作品を残していますし、7つの交響曲や、合唱曲の数々、オペラなどなど、ほぼ全ての分野で作曲をしました。ブラームスの影響を色濃く受けていますが、その作風は、彼の弟子たちに代表されるイギリス田園主義音楽に通じるものです。派手さはありませんが、非常に美しい音楽でした。

 では、なぜ、スタンフォードは作曲家としては忘れられていたのでしょうか?

 一つには、彼の弟子たちが極めて優れていたことが挙げられます。それは言い換えれば、教師としてのスタンフォードの力量が優れていたとも言えるでしょう。音楽に限らず、優れた先生というのは、自分よりも優れた弟子を育てるものです。それは、歴史上に燦然と輝くピアニストであり名教師であった、アルフレット・コルトーや、ゲンリヒ・ネイガウス、アルトゥール・シュナーベルなどの例を見れば明らかです(少なくとも、彼らよりも弟子たちの演奏の方が現代ではよく聴かれています)スタンフォードはそんな名教師の一人でした。だから、彼の弟子たちの名声の中に埋もれていったのでしょう。

 もう一つ考えられる要因としては、イギリス音楽普及の立役者にして最大の指揮者、サー・エードリアン・ボールトが、おそらく意図的にスタンフォードをあまり取り上げなかったことでしょう。晩年、スタンフォードエルガーとの間に確執をかかえていました。ボールトはエルガーの親しい友人でしたし、ボールトがスタンフォード作品の魅力に気付かないはずもないので、おそらく意図的に無視したものと推測されます。

再評価への試み、ハンドリーの功績

 1980年代あたりから、スタンフォードの作品群を全て取り上げ、全集を録音した指揮者がいました。バーノン・ハンドリーです。スタンフォードと同郷の北アイルランド出身のこの指揮者は、ボールトの弟子でした。

 以前の記事でも述べましたが、ボールトはイギリス音楽を世界に知らしめた立役者でありました。

 そんな側面を受け継いだのが、このハンドリーです。ハンドリーは同時代を含め、自国のイギリス音楽を積極的に取り上げ、録音していきました。この功績はとても素晴らしいものですが、彼にサーの称号がつかないのは、彼が北アイルランド出身だったからかもしれません。同郷のスタンフォードへの思い入れもさぞ強かったでしょう。

 私が素晴らしいと思うのは、ハンドリーが、師であるボールトの取り上げなかった作品を、あえて取り上げ、イギリス音楽普及への職責をしっかり果たしたということです。

 この関係は、ドイツにおけるアーベントロートと、サバリッシュの関係に似ています。ユダヤ人であるメンデルスゾーンの作品を取り上げなかったアーベントロートの代わりに、後年、サバリッシュはメンデルスゾーンのすべての楽譜の校訂を果たしました。アーベントロートナチスドイツ協力のために、今では大の嫌われ者ですが、もちろん、優れた指揮者・研究者であり、そんなアーベントロートをサバリッシュは「ドイツの良心」と呼んだのです。ナチスドイツの犯した罪は大変なことであり、許されることではありませんが、ただ言われるがままに「善玉フルトヴェングラー、悪玉クラウス」と決めつけてしまうにはあまりにナイーヴで、実際にはそんな単純な話ではなく、アーベントロートにも同じことがいえると思うのです。

 話が少しそれましたが、師が敬遠していたスタンフォードをハンドリーが取り上げ、本格的な演奏で全集を作り上げたことは、スタンフォードの再評価への大きな一歩であったことは間違いありません。

交響曲第6番 変ホ長調 作品94 G・F・ワッツの偉業を称えて

 スタンフォードの代表作の一つ。当時、有名であった画家GF・ワッツの死をきっかけに、画家の作品を題材に作曲されました。愛と死が主題になっており、愛のテーマと死のテーマが曲中に現れます。私はとりわけ三部形式をとる緩徐楽章が最も好きです。愛のテーマが第一主題ですが、それに続く中間部(トリオ)の旋律がとても美しく、スタンフォード作品のなかでも最も優れたメロディーなのではないかと思います。曲全体は、スタンフォードらしく派手さのないものですし、影響を色濃く受けたというブラームスともまた違うものです。私が感じたのは、この素朴ともいえる作風が、後の弟子たちに受け継がれていったのだなとよくわかることと、エルガーに比べても、何ら劣っているところはないということです。是非、聴いてみていただきたい一曲です。

お勧めの演奏

①バーノン・ハンドリーVernon Handley指揮 アルスター交響楽団 盤

 1988 Chandos

 バーノン・ハンドリー(1930-2008)が北アイルランドに所在する唯一のプロのオーケストラ、アルスター交響楽団を指揮した演奏。ボールトの弟子の中でも最も芸風がボールトに近いと私には思われ、それ故に、ボールトが振らなかった作品をハンドリーが演奏したことは意義深いと思います。実力派の指揮者で、本格的な演奏です。ハンドリーになぜ、サーがつかないのか不思議でなりません。

 スケールの大きな巨匠の演奏ですが、抑制が効いており、決してスペクタクルにはなりません。これは非常に重要なことで、演奏に品位をあたえます。奇をてらわず、自然でいて、独特のニュアンスに富んでいる。一聴の価値ある演奏です。

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ハンドリー アルスター交響楽団

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ハンドリー アルスター交響楽団

まとめ

 今回はイギリス音楽界の名教師、スタンフォードについてとりあげました。スタンフォードは本当に名教師で、その弟子には私の大好きなアイアランドや、モーランも含まれます(モーランは大戦後アイアランドに師事します)、以前にも述べましたが、私はこの3人の師弟関係のラインが好きです。

 モーランも、アイアランドも、そしてスタンフォードも、人間として生きていく上でたくさんの悩みを抱えていました。きっとそんな悩みに、師弟は寄り添ったのでしょう。そして作曲が、ある時は推進力となり、またある時は癒しとなったでしょう。創作とはそのようなものだと思います。何といっても3人に共通しているのは、真面目で融通が利かず、生き方が必ずしも上手くないということです。スタンフォードをはじめ、この3人は、エルガーやヴォーン・ウイリアムズ、ホルストブリテンなどに比べて有名とは言えません。それは決して作品が劣っているからではなく、あくまで時代や状況が作り出した、言わば運命のいたずらによるものです。そんな彼らの作品が正当に評価され、もっともっと日の光が当たることを心より望みます。

 

私とオーディオ その1

クラシック音楽と私

 物心ついたときから、我が家では、バッハやベートヴェン、ショパンといったクラッシック音楽が流れていました。生活の中に音楽は自然と溶け込んで、それは空気のように馴染み、またなくてはならないものでした。声楽家を志していたこともある母の趣味で、私も自然にクラシック音楽を好むようになりました。

 

 自分から積極的に音楽を聴き始めたのは中学生のころのことです。本に夢中になったり、趣味の写真をはじめたのもこのころです。多感なこの時期にいろいろな芸術に関心を持ち、触れ始めたことが私の財産になったことは間違いありません。その後、様々な人生の局面でこれらは私の拠り所となり、私を助けてくれました。

 

 今や数千枚を数えるまでになったCDですが(今も月、数十枚のペースで増え続けています)、自分で買い求めた初めてのものは、サン・サーンスの『白鳥』でした。美しいメロディーと、優しく深いチェロの魅力にとりつかれていました。他にはショパンのピアノ・コンチェルト、ブラームス弦楽六重奏曲など、ロマンテックなものに惹かれたのは思春期だったからかもしれません。

 

 お気に入りのCDを見つけるのには一筋縄ではいかない時代でした。今ではYou TubeやPrime Musicなどいくらでも試聴したり、情報を集める手段があります。しかし、当時はそのようなものはありませんでしたから、基本的に本や雑誌から情報を集めるしかありませんでした。そんななかで、とても音の良いオーディオがあることを知り、興味をもったのです。それが、私とオーディオとの出会いでした。

 

初めてのオーディオショップ

 自宅にはいわゆる、ミニコンポが備えてあり、それでカセットテープやCDを聴いていました。もっと以前には、山水の大型システムがあったのですが、私たち兄弟が大きくなるにしたがって、何かと物が増え、またそこまでオーディオにこだわることができなくなったためか、いつしかミニコンポに代わっていました。

 

 私がオーディオに興味を持ち始め、私たち兄弟がクラシックを本格的に聴き始めたので、それではオーディオを一式揃えようということになりました。大学生になったばかりのころだったと思います。大阪は日本橋のシマムセンというオーディオショップに、家族で試聴に行きました。家族で行ったのは、家族全員が音楽を好んで聴くためです。

 

 「タンノイなど、聴かせていただけせんか?」と店員さんに尋ねると、「どうぞ」と3階の試聴コーナーへと案内してくださいました。オーディオでキーになるもの、最も大事なのはスピーカーです。これはいわば楽器のようなもので、音の方向性を決定します。そのことを知っていたので、まず、スピーカーからの選定になりました。候補にしていたものをいくつか聴いたのですが納得がいかず、店員さんの紹介でイギリス、タンノイ社のスターリングという、25センチ同軸ユニットのものと、三菱ダイヤトーン20センチウーファーを大きな箱に収めたフロア型のスピーカ―の2台を試聴しました。びっくりするくらいの差で、音がよかったのを覚えています。両方とも箱を鳴らすタイプの楽器的なスピーカーで、どちらもとても魅力的でしたが、主にクラシックを聴く私たちは、クラシックに定評のあるタンノイに決めることにしました。その後、アンプやCDプレーヤーを選定して、結局、以下のようなシステムになりました。

 

スピーカー:TANNOYStirling/TWW

アンプ:山水、AU-α707MR

CDプレーヤー:DENONDCD-S10Ⅱ

カセットデッキ:パイオニア、型番失念

チューナー:パイオニア、型番失念

 

 このシステムは私が意識的に音楽を聴くようになってから初めての本格的なシステムで、スピーカーはもうかれこれ20年以上、メインのポジションで、今でもとても良い音を奏でてくれています。

 

 試聴の際にはCDを持っていきますが、今でも、試聴に行く際にはサンソン・フランソワの弾くショパンの第2コンチェルトを持っていきます。お気に入りで、よくわかっている音源を持っていくのがお勧めです。ちなみにシマムセンさんは今でも頑張っておられるオーディオの専門店で、入りやすく、また親切なお店です。今でも時々、利用しています。

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当時のメインシステム

 

私の好きなクラシック音楽 その7

アントン・ルビンシュテイン ピアノ協奏曲第4番ニ短調 作品70

ロシアピアニズムの源流、ルビンシュテイン兄弟

 ロシアの音楽家といえば、ロシア音楽の父、グリンカチャイコフスキーバラキレフを中心としたロシア5人組、5人組解散後のRコルサコフを中心としたグループなどが有名です。これらの音楽家は、チャイコフスキーを除いて、民族色の強い、またそのような作風を意図した作曲家たちでした。その一方で、ヨーロッパの正統的なクラシック音楽をロシアに導入しようとした音楽家がいました。それがアントン・ルビンシュテインAnton Rubinstein1829-1894)とニコライ・ルビンシュテインNikolai Rubinstein1835-1881)のルビンシュテイン兄弟です。作曲家、ピアニスト、指揮者であった彼らはロシアにて、サンクトペテルブルク音楽院、モスクワ音楽院を設立します。両音楽院は、ロシア4大教師、ニコラエフ、ゴリデンヴェイゼル、イグムノフ、G・ネイガウスを擁し、まさにロシア・ピアニズムの中心となるのです。ヨーロッパの伝統的な音楽と、ロシア特有の民族音楽がまじりあい、ロシアの音楽は素晴らしい広がりをもって発展していくのでした。

ピアノ協奏曲第4番ニ短調 作品70

 現在、A・ルビンシュテインの曲を取り上げることは少ないです。そんな中では、比較的、演奏の機会が多いのが、ピアノ協奏曲第4ニ短調です。大変、美しい曲で、ロシアのピアノ協奏曲の中で、スクリャービンのものと並んで最も偉大な協奏曲なのではないかと私は考えています。ソナタ形式の第1楽章はとても情熱的、劇的です。しかし、どこか涼しげな色を感じるのはロシアの曲だからでしょうか。第2楽章は三部形式です。遠くから聴こえてくるかのように始まります。非常に美しいメロディーが、ドラマチックなトリオを挟みます。第3楽章はロンドによるフィナーレです。私はやはり第二楽章が好きです。北国の空気のつめたさとコントラストをなすような人の心の温かさ。その心の動きが見えるような気がするのです。そんな優しいメロディーラインについ聴き惚れてしまいます。

二人のピアニスト、レヴァントとギンズブルク

 とりあげられることの少ないA・ルビンシュテインの第4ピアノ協奏曲ですが、早い時期にレコーディングをした二人のピアニストがいました。アメリカのピアニスト、オスカー・レヴァントソ連のピアニスト、グリゴリー・ギンズブルクです。この二人はほぼ同じころの生まれになります(ギンズブルク1904年と、レヴァント1906年)

 今では、オスカー・レヴァントはピアニストとしてよりも、役者、コメディアンとしての方が有名です。ですが、ピアニストとしてもとても才能がありました。ガーシュインの親友であり、共演者にはミトロプーロスオーマンディーなど、当時の超一流の指揮者が名を連ねました。生粋のアメリカ人として初めての、そして破格の名声だったといえます。

 一方、ソ連ではグリゴリー・ギンズブルクが少なくとも2回、この曲のレコーディングを行っています。ギンズブルクにとってはお国ものでもありますが、2回も録音していることから、その思い入れの深さがうかがえます。ギンズブルクは、ロシアの4大教師の一人、ゴリデンヴェイゼルの愛弟子であり、秘蔵っ子でした。リストをはじめ、ロマン派を得意とする、ソ連でもとても人気のあるピアニストでした。不幸なことに、ゴリデンヴェイゼルよりも先に亡くなってしまいます。ショックが大きかったのでしょう、ギンズブルクの死の数日後、失意のうちにゴリデンヴェイゼルは後を追うように他界しました。

 そんな二人のピアニストの演奏を、今でもCDで聴くことができます。

 オスカー・レヴァントの演奏は、ミトロプーロスとの共演ですが、ピアノもオーケストラも表現意欲の高い演奏です。それは消えてしまいそうなくらいのピアニシモや、後ろ髪を引くような指の抜き方などに表れていますが、決して不自然ではなく、核心をついた、必然性のある演奏で、一聴の価値のあるものです。その核心をとらえる力と、表現力の豊かさは、役者もこなす彼ならではのものかもしれません。

 一方、ギンズブルクの演奏は、レヴァントよりもずっと素朴なものと言えるでしょう。ですが、彼の場合、普通に弾いたとしても、滲みだすような表現の豊かさがあります。こちらも説得力のある、自然な演奏で、素晴らしいものです。

 お勧めの演奏

オスカー・レヴァントOscar Levant ディミトリ・ミトロプーロス

 ニューヨークフィルハーモニック 1952 Sony Classical

 オスカー・レヴァント(1906-1972)による演奏。CDは資料も充実した8枚組セットで現行盤(2019.11現在)です。『ラプディー・イン・ブルー~オスカー・レヴァントの素晴らしき生涯』というタイトルで限定販売です。これは一生の宝物となるはずなので、入手できるうちにしておくことをお勧めします。今後、プレミアがつくこと必至です。しかし、何よりも演奏がとても素晴らしいです。ガーシュインとの関係で知られたピアニストですが、そのレパートリーは多岐にわたっています。上記に述べたようにA・ルビンシュテインのピアノ協奏曲も、表現意欲にあふれた素晴らしいものです。麻薬とアルコールのために晩年は楽壇から離れてひっそりと過ごしました。しかし、そのことさえも、彼が、器用ではなく、本物の芸術家として生きたことを裏付けているような気がします。ミトロプーロスはさすがの指揮です。ニューヨーク・フィルとえ言えば、私の中ではミトロプーロスです。

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レヴァント ミトロプーロス

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レヴァント ミトロプーロス

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レヴァント ミトロプーロス

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レヴァント ミトロプーロス

②グリゴリー・ギンズブルクGrigory Ginzburg A・シェレシェフスキー盤 

 ロシア国立交響楽団 1951 MELODIA  

 グリゴリー・ギンズブルク(1904-1961)による演奏。ギンズブルクは数多くいるロシアのピアニストの中でもとても好きなピアニストの一人です。師であるゴリデンヴェイゼルは偉大過ぎますが、彼にずっと守られて(ゴリデンヴェイゼルは政治的手腕も凄い人でした、チェスの名手でもありました)、それだからこそ、あの伸び伸びとした、純粋な表現が可能だったのでしょう。師とは対照的に、残された写真の、少しはにかんだような、屈託のない笑顔がそれを裏付けているような気がします。ギンズブルクのピアノは、しかしながら、もちろん、ロシアピアニズムの中に輝く一流のものです。美しいタッチと華麗なテクニックは当時の聴衆を夢中にしました。そんな彼の奏でるA・ルビンシュテインは、ロシアの大地を感じさせるような大きさと、土の香りがするような素朴さが共存する、極上の演奏です。

 

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ギンズブルク A・シェレシェフスキー盤

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ギンズブルク A・シェレシェフスキー盤

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ギンズブルク

まとめ

 ロシア・ピアニズムの源流ともいえるピアノ協奏曲と、とても対照的な二人のピアニストについて述べてきました。ほぼ同時代を、アメリカとソ連という別世界で過ごした二人のピアニストは、何を思ってこの曲に臨んだのでしょうか。とりわけ、アメリカでこの曲を大々的に取り上げたレヴァントの想いはどのようなものだったのでしょうか(レヴァントは他に、ハチャトリアンやプロコフィエフショスタコーヴィッチなどソ連産の音楽をとりあげています)他にも、ショスタコーヴィッチのピアノ協奏曲第1番のアメリカ初演などを果たし、米ソの交流において重要な役割を果たしたユージン・リストや、プロコフィエフが世界的な名声をすでに得ていたとはいえ、プロコフィエフのピアノ協奏曲を世界で初めて全曲、レコーディングしたジョン・ブラウニングなど、アメリカにはソ連産の音楽をとりあげる演奏家がたくさん存在しました。政治的な立場を超えて、もしくはそれを乗り越えるために、音楽の本質をとらえて悪いものとせず、心から曲を愛して、勇気をもって演奏にのぞむこと、それはとても尊い行為に思います。音楽に国境はなく、彼らこそ本当の国際人だといえるのではないでしょうか。