私にとってオーディオとは
まず、オーディオとは何でしょうか?私にとっては楽しい趣味の一つであり、音や音楽を味わうための道具です。スピーカーひとつとってもそれぞれが何と個性的な鳴り方をすることでしょうか?それがまた、アンプやプレーヤーとの組み合わせに応じてその個性を変えていくのです。そこが楽しくて、とても好きなのです。
クラシックギターをほんの少しつま弾きますが、ほとんど聴く方に専念している私にとって、それは楽器のようなものでもあります。オーディオに手を加えていくことは楽器を育てるのにも似た喜びがあります。
よい音で聴くために
クラシックの中でもヒストリカルを好む私のようなものにとって、再生装置はとても重要なものです。何しろ関心のあるほとんどの演奏家の演奏をコンサートで聴くということが叶わないのですから。
オーディオの音というのは、電気信号を変換して再生するわけですから、自然の音とは当然、異なります。そんな音のどこが良いのか?生の楽器の音とは比較にならない、という考え方もあり、一切のオーディオ装置を持たない方もいらっしゃいます。一方で、自然の生音を再現しようとの理想に情熱を傾ける方もいらっしゃいます。
では、私は?
私はそのあたりの議論には距離をおいていて、シンプルに次のように考えています。
自然界の生音とオーディオ装置の音は違うけれども、過去の演奏を聴くにはオーディオ装置をとおして聴く他なく、それをできるだけよい音で聴きたい、と、そのように考えているのです。
なぜヒストリカルを好むのか
クラシック愛好家の中でもやや冷ややかな目で見られることも多いヒストリカルマニアですが、私がヒストリカルを好む理由は一言で言うと、薫り高く素晴らしい内容の演奏が多いと私には感じられるからです。古い録音ですと100年遡ることも可能ですが、その100年という長い歴史の中で残ってきた演奏です。その中には筆舌に尽くし難い素晴らしい演奏があることは容易に想像がつくことでしょう。CDとはタイムカプセルのようなものです。私はそこに、時代やその場の空気、演奏家の生きざまから滲み出るもの、息遣いやニュアンス、余韻といったものを感じるのです。演奏によっては風がふくこともあります。
そして、長い歴史の中で、政治的な思惑によって排除されたり、レコード会社の主導による商業ベースに乗れなかった素晴らしい演奏がたくさんあるのです。そのような演奏に出会うことはヒストリカルの醍醐味で、そのために日夜、レコードをあさり続けるのです。
まとめ
いろいろ書いてきましたが、結局、私はオーディオ機器が好きなのだと思います。もちろん、音楽を聴く道具としてですが。
今回、オーディオの記事を当ブログに載せることにしたのは、私が音楽を聴く際に楽しんでいる要素の一つだからです。よい演奏を、そのニュアンスが聴きとれるような、よい音で聴けたら最高だとは思いませんか?また時々、オーディオのお話も織り交ぜていこうかと思っています。