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ヒストリカルクラシックのブログ

私の好きなクラシック音楽 その14

ロベルト・シューマン ヴァイオリン協奏曲ニ短調1853

ロマン派の中のロマン派 Rシューマン

 ロベルト・シューマンRobert Schumann(1810-1856)という名を聞いたとき、どのようなイメージをもたれるでしょうか?ピアノの名曲である『子供の情景』から『トロイメライ』(「夢みがち」というような意味)などの美しいメロディーを思い出される方がいらっしゃるのではないでしょうか?

 シューマンはその美しく抒情的なメロディーとともに、その文学性の高さから、最もロマン派的な作曲家だと言われています。シューマンは『女の愛と生涯』『詩人の恋』『リーダークライス』など、歌曲にも素晴らしい傑作を残していますが、単純に、そのことが彼の文学性の高さを表しているわけではありません。シューマンの歌曲は「歌の年」といわれる1840年を中心に集中的に作曲されていて、それまではむしろ歌曲自体に否定的であったことがわかっています。

 では、シューマンの文学性とはいったいどのようなものなのでしょうか?シューマンは、歌詞などの言葉によってだけではなく、むしろ内容において、純粋に音楽に文学を持ち込んだのです。『子供の情景』は13曲からなるピアノ小曲集ですが、その一つ一つに副題がついています。『トロイメライ』もそうですし、私が好きな最終曲は『詩人は語る』という副題です。私たちは『詩人は語る』を聴くとき、その副題と音楽の内容が結びつき、響きあっているのを感じます。ピアノの独奏に、旅路の吟遊詩人が詩を吟じる、その語り口を聴いているような、もしくは道行く足どりを見ているような、そんな雰囲気の、世界の中に誘われるのです。それがシューマンのもつ文学性です。

 シューマンは、とても変わった人物であり、また、いろいろなエピソードに彩られた、波乱万丈の人生を送った人でした。若いころはとても裕福で、各地に遊学し、遊び人といってもいいくらいでしたが、そのことは、彼の芸術性と教養を深め、ある意味では彼の音楽を大成させた、不可欠な要素の一つだったともいえるでしょう。妻クララ・シューマンとの関係や、弟子のブラームスとの出会い、もしくは持病である精神疾患などにまつわるたくさんのエピソードがあります。

 なかでも衝撃的なのは、彼の精神疾患についての逸話です。シューマンには「天使の声」が聴こえていたそうです。この声にインスピレーションを受けて、ピアノ四重奏曲のアンダンテ・カンタービレなどの、少し普通では考えられないほどの美しく魅力的な音楽が生まれました。

 精神疾患の原因については諸説ありますが、今では「梅毒による」という考え方が一般的なようです。ただ、この説にも説明不十分な点が多く、決定打には欠けると私は考えています。

 ブラームスと出会った幸せな年の翌年、シューマンはこの精神疾患が原因で、ライン川に身を投げるという、自殺未遂事件をおこします。幸い、一命をとりとめたのですが、自ら精神病院への入院を希望した彼は、その2年後には46年の短い生涯を閉じました。

 その破天荒な生き様も、彼のイメージにロマン派的な色をそえているのかもしれません。

ヴァイオリン協奏曲ニ短調1853

 シューマンは、その生涯に代表的なものでは3つの協奏曲を残しています。ピアノ協奏曲、チェロ協奏曲、そして今回とりあげるヴァイオリン協奏曲です。それぞれとても素晴らしい曲ですが、残念ながら、その中でもっとも演奏される機会が少ないのがヴァイオリン協奏曲です。ですが、私は、3曲の中でこの曲が内容的にも最も充実したものであると考えています。

 ヴァイオリン協奏曲は、シューマンが自殺未遂をする、前年に書かれた作品です。彼は自殺未遂の前後、「幽霊の主題による変奏曲」(Geistervariationen)を作曲していました。その主題は、シューベルトメンデルスゾーンの亡霊によって示されたのだとシューマンは語ったといいます。その主題に、ヴァイオリン協奏曲の第二楽章の主題が酷似しており、そのためか、妻クララはシューマンのヴァイオリン協奏曲の改訂をヴァイオリニストのヨアヒムに依頼します。しかし、それは叶わず、結局、クララとヨアヒムの判断で、お蔵入りとなったこの曲は、演奏されることなく、20世紀を迎えることになるのです。初演は作曲から実に80年以上たった1937年のことでした。

 繰り返しが多いことなどが指摘されたりもして、不遇なこの曲ですが、実際に聴いてみると、すぐに素晴らしい曲であることがわかると思います。とてもシューマン的な、ロマンテックな曲です。第一楽章、冒頭からの動機はドラマチックで心躍ります。また、とりわけ第二楽章の幽霊の主題はとても、とても美しく、シューマンならではのものであり、言葉では伝えきれないほどのものです。全曲にわたる繰り返しの多さも、重ねて回数を聴いてくると、意味のあるものに聞こえて、決して欠点には思えません。そもそも、繰り返しの多さは、シューマンの曲、全般にわたって言えることです。シューマンには、彼しか作曲できないような、神がかった曲がありますが、まさにこの曲がそうであると思われます。

お勧めの演奏

①ユーディ・メニューインYehudi Menuhin (Vn)ジョン・バルビローリ指揮 ニューヨーク・フィルハーモニック 1938 NAXOS 

 1938年の歴史的演奏。初演権をもっていたメニューイン1916-1999)による演奏。シューマンのヴァイオリン・ソナタも発見したメニューインが、ヨアヒムのアルヒーフに保存されていたシューマンのヴァイオリン協奏曲をシューマンの直筆譜をもとに、忠実に演奏したものです。とても22歳の青年が弾いたとは思えない成熟した演奏ですが、若者ならでは瑞々しさも持っています。それでいて、色気さえも感じさせます。もっと若いころ、少年時代の演奏(エルガーなど)も素晴らしく、神童というのはまさにメニューインのことを言うのでしょう。若きバルビローリは、後年ほどの緩さがなく、私はこのころが一番好みです。とても素晴らしいオーケストラが支えています。

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メニューイン バルビローリ盤

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メニューイン バルビローリ盤

 ②ゲオルク・クーレンカンプGeorg Kulenkampff (Vn) ハンス・シュミット・イッセルシュテット指揮 ベルリンフィルハーモニー管弦楽団 1937 STRINGS

 1937年、ナチス政権下のドイツにおける巨匠クーレンカンプ(1898-1948)による演奏。とても抒情的で、ドイツ・ロマン派を思わせる演奏です。こちらはクーレンカンプやヒンデミットらによる改訂版でした。メニューインとは全く違う演奏ですが、また違った方向性からこの曲を極めた演奏だと思います。とてもロマンチックですが、どろどろしておらず、むしろ清潔感さえ感じさせます。イッセルシュテット指揮のベルリンフィルも、柔軟さを感じさせる名演です。

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クーレンカンプ イッセルシュテット

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クーレンカンプ イッセルシュテット

③ズザーネ・ラウテンバッヒャーSusanne Lautenbacher(Vn) ピエール・カオ指揮 ルクセンブルク放送管弦楽団 1974 TIM

 1974年、こちらはステレオ時代の演奏。ドイツの名女流、ラウテンバッヒャー(1932-)による演奏。メニューインとも違い、同じドイツでもクレーンカンプのような、ロマンの香りが前面に出た演奏ではなく、シューマン的な、野の花を思わせるような、しみじみとした演奏です。とても落ち着いており、丁寧で、私はこの演奏が、実は最もシューマン的なのではないかと思います。内省的なロマンの香りがするのです。メニューインと同じ原典版による演奏です。ルクセンブルク放送管弦楽団も、とても良く、ラウテンバッヒャーのヴァイオリンとよく合っていると思います。

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ラウテンバッヒャー カオ盤

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ラウテンバッヒャー カオ盤

まとめ

 とても素敵な曲や、演奏であるにもかかわらず、知名度があまり高くないものがあります。その原因は、たいていは先入観によるものです。このシューマンのヴァイオリン協奏曲は、その典型的な例だと思います。シューマンの自殺未遂に関係する曲であったことや、クララやヨアヒム、ブラームスらの判断によるお蔵入りの問題、ナチスドイツの時代の再発見など、負のイメージが人々の頭にあったことがその大きな原因でしょう。ですが、先入見なく、一度、聴いてみると、忘れられないような素敵な曲であることがわかるのです。いえ、むしろなぜ、これほどマイナーなのか、わからないくらいです。

 シューマンは、多作な作曲家ですから、名作もとても多く、その全てが公正に判断されることは不可能に近いかもしれません。ですが、このヴァイオリン協奏曲の、とりわけ第二楽章の、優しく、深く美しいメロディーは、私たちに、シューマンの音楽の本質を、誤解を恐れずに言えば、ロマン派音楽の神髄をも感じさせてくれる、最上の旋律だと思われるのです。