音楽のように

ヒストリカルクラシックのブログ

クラシック音楽と私 その2

『トニオ・クレーゲル』と私

 青春時代に私を虜にした楽器はチェロでした。チェロは今までの私の人生をかたちづくる、大きなひとつの要素です。多感なこのころに、私が迷い込んでしまったものが、もう一つありました。それが、ドイツの作家、トーマス・マンの小説『トニオ・クレーゲル』です。この作品は、私にとってのバイブルのような存在です。今まで、幾度となく、人生の転機には、私を慰め、危機から救ってくれたのです。

 さて、なぜ、今回、このような小説を題材として取り上げたのかというと、それはこの作品が、音楽そのものだからです。ソナタ形式で書かれているとか、そういった研究も存在します。私も、持論をもっており、『トニオ・クレーゲル』は一種の主題と変奏で説明ができると考えています。ですが、そのことは、また後の話題としてとっておきたいと思います。

 『トニオ・クレーゲル』と私の出会いは、高校の図書館でのことでした。図書館の書架で偶然見つけた…のではありません。1年生だった私たちに、図書館を利用するためのオリエンテーションが行われ、そこで司書の先生が、この『トニオ・クレーゲル』を、ところどころかいつまんで朗読してくださったのです。灰色の髪をした年配の司書の先生の朗読はどこか夢見がちな口調ですすみました。もちろん、作品の音楽的な構造にまで立ちいったものではありません。主人公の性格や、作品のアウトラインを描いて見せるようなものでした。けれども、それでも、私のうけた衝撃は、今まで読んだどの物語よりも大きかったのです。

 主人公のトニオは、庭の噴水、クルミの老樹、ヴァイオリン、バルチック海などを愛する少年です。それらの言葉は、たびたび、彼の詩の中に登場しました。彼にとって海は泳ぐところというよりは眺めるものでした。彼には意中の少女がいます。活発な金髪碧眼のインゲは、彼とは最も遠い存在です。彼女を想い、日おおいのおりた窓の前にたたずみます。そんな彼の半生が、わずか百数ページで描かれます。

 私は、わざわざ校外の図書館に『トニオ・クレーゲル』を求めました。司書の先生が朗読してくださったものよりも、古い翻訳でしたが、探し出し、読みました。その後、お気に入りの翻訳を見つけて、それをむさぼるように読みました。

「最も多く愛する者は敗者である、そして苦しまねばならぬ」

「それでも彼は幸福だった。なぜなら幸福とは、と彼は自分に言ってきかせた。愛されることではない。愛されるとは嫌悪をまじえた虚栄心の満足にすぎぬ。幸福とは愛することであり、また、時たま愛の対象へ少しばかりおぼつかなくも近づいていく機会をとらえることである。」

 今となっては、少々、ひねくれて見えるこれらの人生の教訓を、文字通り味わい尽くした私は、このような影響力のある本を私に教えた司書の先生を内心、恨んだこともあったのです。

 けれど、今、私は司書の先生に心の底から感謝しています。『トニオ・クレーゲル』は、私に、文学の音楽性とは何かを、つまり、文学と音楽のつながりを、知らず知らずのうちに教えてくれていたからです。主題とは何か、リズムとは何か。「すべての芸術は音楽に憧れる」ということを理解することができたのです。後になって、大学生の時、『トニオ・クレーゲル』が音楽的な構成をもつことを、はっきり知ることになるのですが、私には、そのことを受け入れる準備が既に十分にできていたということだと思っています。

 

『トニオ・クレーゲル』は、その結びを、友人の女性画家リザヴェータへの手紙でしめくくります。

 

「遠い楽園におられるリザヴェータさん、……(中略)……リザヴェータさん、どうぞこの愛情を叱らないでください。それは善良な、実り豊かな愛情なのです。そこには憧れと、憂鬱な羨望と、それから少しばかりの軽蔑とあふれるばかりの清らかな幸福感とがあるのです。」

 

……Schelten Sie diese Libe nicht, Lisaweta; sie ist gut und furchtbar. Sehnsucht ist darin und schwermütiger Neid und ein klein wenig Verachtung und eine ganze keusche Seligkeit.

 

 最後までお読みくださりありがとうございました。

 

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『トニオ・クレーゲル』

※お薦めの訳は、高橋義孝さんの訳です。新潮文庫から。古い訳ですが、最も詩的な、味わい深い訳だと感じています。