音楽のように

ヒストリカルクラシックのブログ

クラシック音楽と私 その3

ベートーヴェン後期ピアノ・ソナタと私

 ベートーヴェン。私にとってその存在は、シューマンブラームスショパンに並んで大切なものです。よく知られているように、ベートーヴェンは宮廷に依存していた音楽家が、自律的な職業作曲家へと変遷していく道を切り開いた人でもありました。大変苦労をした人物であり、私の大好きなロマン・ロランの『ジャン・クリストフ』はベートーヴェンをモデルにしています。彼の音楽は、最後には必ず勝利へと到達するのです。

 そんなベートーヴェンに、私は青春時代、大いに助けられました。進むべき道の大筋を示してくれた存在でもあったのです。

高校生活とベートーヴェン

 私の通った高校は、府内数学区のひとつの学区の、いわゆる2番手校といわれる公立高校でした。部活動は中学からの陸上部を続けていましたが、音楽も本当は打ち込みたい気持ちがあり、とりわけチェロは憧れの楽器でした。ですが、陸上と受験に専念しなければならなかったので、チェロは将来の楽しみとしてとっておいたのです。

 当時はまだCDRなど無かったので、CDをカセットテープにダビングしたり、カセットテープも主流の時代でした。自宅ではケンプやバックハウスベートーヴェンをカセットで聴いていました。その他にも、アーロン・ロザンドのサン=サーンスや、ブライロフスキーのショパンなど、今では珍しいような、得難い名演を聴いて青春時代をおくりました。このころの音楽体験が、今の音楽のし好を決定しているようなところがあるかもしれません。

 高校時代の思い出のひとつに、音楽発表会があります。それは、芸術科目の音楽選択者が、全校生徒へ向けて、日ごろの成果を発表するという趣旨のものです。私たちの学年は、ベートーヴェンの第九「歓喜の歌」を発表することになり、カタカナ表記のドイツ語の譜面で、日々、練習が続きました。好きな音楽に浸れる時間が、とても幸せだったのを覚えています。発表当日の思い出は、この第九のことよりも、陸上部の同じ種目の先輩が独唱した尾崎豊I LoveYouの方が印象深いです。全校生徒を前にして、とても格好よく、あまりよく知らなかった尾崎豊が好きになりました。

大学受験とベートーヴェン

 高校生活の目的の一つは、私にとっては受験がありました。本や音楽など、芸術文化が好きだったので、漠然とですが、文学部へ進学したいと思っていました。私は文学の力、時には戦争時の対立する両国の争いをいさめ、時には弱いものの力となる、ペンのもつ重みと可能性を信じていました。いつ頃だったか、高校時代の3年間の内に、ベートーヴェンをモデルとした『ジャン・クリストフ』を原書で読もう、フランス文学へ進もうと考えるようになりました。

 そして、自分の理想・目的を実現するためには影響力のある大学へ進学しなければならないと考えて、関西のある国立大学へ目標を設定しました。そこから、長い長い受験の日々が始まります。結論から申し上げると、現役ではもちろん、その大学へは何度、挑戦しても受かりませんでした。 

 受験は失敗したものの、悪いことばかりではありませんでした。浪人時代、たくさん、勉強しました。主に市民図書館を利用して勉強しましたが、本の誘惑には時々負けて、たくさん本も読めました。ニーチェ全集を、ナッハラス含めて、ほとんど読んだのもこの時です。

 少し休憩にと、よく聴いたのはベートーヴェンのピアノ・ソナタ30番でした。ヴェデルニコフの演奏がお気に入りでした。

 ベートーヴェンの後期ピアノ・ソナタは、非常に深く、内容的にも大きな曲が多いのです。29番ハンマーグラービアは言うまでもなく、31番にはこの世のものとは思えない美しい「嘆きの歌」があり、32番はピアノ・ソナタの番号付きとしては最後の大作です。そんな中にあって、少し規模のちいさな、草原の野の花を思わせるような曲が30番です。私はベートーヴェンのピアノ・ソナタのなかで、この曲が最も好きです。受験勉強に疲れて、くじけそうになった時に、私に勇気と、そして慰めを与えてくれた、大切な曲なのです。

 

 ベートーヴェンは高い理想をもって、戦った人でした。私は、おこがましくも、彼に自分を重ねているところがありました。結局、大学ではフランス文学ではなく、ドイツ文学を修めます。ベートーヴェンが私を誘ったのかもしれません。

 

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当時よく聴いたCDより アナトリー・ヴェデルニコフ